どうせなら言葉にしようと思った

発作がずっと続いていて辛いので、どうせなら言葉にしようと思った。

発作、って私が呼んでるものについてまず整理する。
私は多分、境界性のパーソナリティだ。自覚があって今は生活上で障害にならないように努力して暮らしている。いっぱい安全装置を作って生活している。
どんなに工夫しても見捨てられ不安が膨れ上がって留められなくなり、周りの人に襲い掛かりそうになることがあって、それを「発作」って呼んでいる。
無駄に影像のイメージを持っていて、首の付け根の背中側から鉤爪のついた四つ指の大きな腕がでてきて、根本から一緒に焦げ茶色の濁流が溢れてくる。

今回の発作の原因には心当たりがちゃんとある。
2つぐらい。

原因のことは今日は置いといて。

発作の受け流し方で使える方略が今少なくて、というか発作を起こさないように安全装置を強固なものにするのを怠っていたので結構だめにしてしまったので、発作の起きてる状態でずっと暮らしている。
もうこうなると私のことを優先してくれない人に対してそれはそれは被害的な気分になり、見捨てられてないことを確認するために過剰に関わりに行ってしまうのだ。
気持ちと言葉が相手のためじゃなくて、私の痛みを誤魔化すために鉤爪に形を変えて相手の信頼を損ねていく。
健康的な気分じゃない人間の関わりは大抵の人にとって毒があり、健康的な人ほどやんわりと距離を取る。そのたびに鉤爪が大きくなって、どんどん取り返しがつかなくなる。

この鉤爪が出てこないようにするのが本当は1番いいんだけど、出て来ちゃったら誰かのところへ伸びていかないように、出来るだけ留めて消えるのを待つしか無い。
待つ、のは1つ有効で、これは発作だからしばらくは誰とも距離を詰めないって決めるだけで何とかなったりする。メールも電話も直接の声掛けも全部止めてしまえばいいのだから。
幸い止めることは出来るけど、めちゃくちゃつらい。

もうひとつ、鉤爪に手袋をつけて関わることがある。できるだけ、安全に。今回の発作でもいくつかの手袋は上手く行った。確実に相手にしてくれる人をちゃんと選んで、関係性に踏み込まない範囲で。例えば職場の人なら仕事の話しかしない、同期なら臨床について話すに留めて自分の心情については全ては話さない、みたいな手袋をつけて関われば、鉤爪でも握り返してもらえたりする。

ただ、ちょっと発作が重くて、というか長くて、手袋のサイズ感を見誤って傷をつけた結果発作の材料になっちゃったやつもある。
私は相手が辛い時に、私の領域を少し明け渡す形で支えたのだけど、そのつもりだったんだけど、今私が辛い時には支えてもらえないらしい。
友達じゃなくて仲間だったんだろう。相手にとっては。あと私の相手に尽くす力はめちゃくちゃ高いけど相手にもそれを求める理不尽な傾向はあるし、なんせ私は出来ちゃうので。
でも自分の領域を明け渡すもんじゃない。踏み込ませたらだいたいの奴は遠慮なく食い荒らすし、だからといって見返りをくれるわけじゃないからね。自分の領域は自分で守らないといけないんだけど、明け渡さないと、尽くさないと関係を切られてしまうという恐怖の確信があって中々難しい。
これ本当に難しくて、関係性に切られることは多分そう多くはないんだけど、私にはそういう確信があるのだ。こういう時に境界性人格障害なんだなと思う。
そんな恐怖に駆られてする献身なんてろくなもんじゃないよ。

まぁとにかく、私はもう少し支えてもらえるだろうと思って手袋をつけて鉤爪を伸ばしたんだけど、躱されてしまって、返す刀で傷つけた、多分。
傷つけたらまた不安になって鉤爪が湧いてきた。

この余計に湧いてる鉤爪だけでも上手くやり過ごせて消えてほしい。
発作が長すぎて安全に関われる相手や方法が足りていなくて鉤爪が、鉤爪が、鉤爪が。

私のことを大事に思ってる人はいない、だから無用に手を伸ばさない

って唱えて鉤爪を飼い殺してるけど、これ一緒に自尊心も削いでる気がする。
でもそうなんだ。誰の1番でもないから仕方ない。人間関係って順位をつけるものじゃないんだけど、じゃあ私の抱いてる1番にしてほしいっていう感情は何なんだよ。まぁそれが障害なんだと思うんだけど。

でもどうやったらこの発作終わるのかもうわかんないんだよな。

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