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Seeing is Believing・改 〜17歳が見たアフリカ〜 南ア留学記 Vol.2 失敗や挫折こそ、成功への道標

前回までの話はこちら
https://note.mu/miyumaudoku/n/n115f4f3f6c4f

中学生時代に芽生えた海外への憧れが日に日に育っていった。そんな中、南アフリカへ留学するという大きな人生のターニングポイントになったのは、高校受験とこれまた、高校の先生との出会いだった。

海外=英語しか、当時の私は思いつかなかったので、単純に高校は英語科を受験したいと思っていた。部活の先輩が英語科に行くということもあったので、色々話を聞いていたのもあるかもしれない。

が、

親に大反対されて、「決裁」はおりなかったのである(笑)

今でこそ、グローバル化やら、英語ができないと昇進もできないと言われている。

だが、当時私の住んでいる範囲の世界の中では、テストや受験科目以外、まだ使う機会などなかったし、家族も海外とか英語とかには全く無縁の世界に住んでいた。

親からしたら、英語を勉強させるためにお金を投資するメリットが全くないのだ。

今なら中学生や高校生でも、クラウドファンディングとか、大学生であれば、バイトしてなんとかするなど、色々な方法はあるのだろうが、当時の中学3年生の私は、まだ自分のやりたいことをやるための資金調達する力も術も知らない。

そんな時に先生から、ある高校で学費が免除される制度があるから受けてみないかと言われた。その高校には、外国語系のコースもあったのだが、私立だし、とてもじゃないけど無理だなと思っていた。公立に行ってねと親からも言われていた。授業料免除の条件は、進学コースに行くことだった。

学校側の大人の事情や関係性もあると思うし、今どうもがいてもダメなら、英語科に行けなくても、3年頑張って、大学に入って行くのもありか。

高校時代ではなく、大学に行って留学するということ目指そうと方向転換した。

私がずっと貧困削減とか、教育や人材育成に関心を持っているかというのは、この辺りの原体験がある。

教育の機会があるのは、とても幸せなことなのだ。選択肢があるということも。

日本社会に生きていても、お金のあるなしで、機会があるかどうか、そして、色々な格差が生まれていくのだと思う。

私の場合、教育を受けるということとお金は、常に背中合わせの問題だった。そして、それはいつも、相当頑張らないとできないことだった。

お金がないから、と言われて、諦めてきたこと。悔しい想い。
周りの家では当たり前のようにお金を出してもらえることが、できない。
塾にも行ったこともないし、習い事しなさいなんて言われたこともない。
他の家の当たり前が、うちの当たり前ではなかった。

そういうやりたいことが実現できないもどかしさもあり、本当に早く大人になりたかった。

結果的には、英語科に行くことができず、やりたいと思うことは叶わなかった。
ただ諦めなければ、いつかはいけるという希望は捨てなかった。

さて、無事高校に入学し、進学コースという、勉強について行くのに精一杯でややアウェー感を感じる環境に身を置くことになった。とはいえ、どんな環境にいても、よき友達にも恵まれ、それなりに楽しい高校生活だったと思う。

これまた、英語の先生で、当時の担任の先生との出会いが、運命を変えていった。

「海外に留学したいんです!」

と希望の大学などそっちのけで、荒削りな言葉を、バカにせずに、ちゃんと聞いてくれた。

ある日突然、

「これ、受けてみたら?」

とロータリークラブが主催する留学プログラムを紹介してくれた。

人にやりたいことを言ってみること、ビジョンを語る大事さは、本当にここで学んだ。
意志あるところに道はできるのだ。

進路面談の時の言葉を先生は覚えていてくれて、多分進学コースではあまりあり得ないことで、学内の調整も大変だったと思うが、チャンスをくれたのだ。

海外でも教えたことがある先生で、今思えば、なかなかユニークでリベラルな先生だった。
今でも年賀状のやり取りをしていて、留学から帰ってきてから、お礼に伺ったこともある。

そんなわけで、留学への片道切符をもらったも同然で家に帰ると、最大の難関は、は親だった。1人っ子ということもあるし、親の世界観や価値観からしたら、海外に行くなんてとんでもないことである。

その応募をするために、親の署名が必要だ。

共働きで仕事から帰って夕食の準備をしているときに、台所でひたすらなぜ留学をしたいか、留学したら将来どんないいこがあるのかを、1ヶ月毎晩プレゼン?しつづけた。
親からしたら、疲れている時に、そういえば迷惑だったと思う。
でも、行けないなら、家出するぐらいの覚悟だった気がする。

そうこうしているうちに、親の方が根気負けして、どうせ受からないでしょ。。。という後ろ向きな理由でOKしてくれた。

ところが、

運良く、受かってしまったのである。

合格してからも、行く行かないで揉めたり、国が南アフリカに決まったことで、これまた一悶着はあっったのだが、最終的に親が根気負けした。

その時の自分には、「今ここで海外に出なかったら、一生行けない」くらいの大きなチャンスに感じた。

この時の留学費用は、参加費用と渡航費以外、ロータリークラブが1年間の滞在費用など負担してくれるのだ。そうでもないと、留学なんてとてもできなかった。

奨学金とか、周りの方の協力で、留学やさらなる教育を受ける機会を得ることができた。

知らない世界を知り、脳内シナプスがプチプチして、また成長していく。
できることが増えていく。喜びが増えていく。

勉強をする、新しい経験をするというのは、強制されるものでもないし、しなくてもいいと思う。

でも、自分が必要性を感じ、学ぼうと思えば、どんな方法でも学ぶことができる。
何歳からでも遅くない。

何のために学ぶ必要があるかといえば、
幸せになるためなんじゃないかと思う。
自分らしく生きるため、強さを身につけるため。
知識を得て、幸せに生きていくための知恵に変えていく。

私にとっても、留学の機会や、学びの場が、
常に新しい考えを教えてくれて、人生が豊かになった。

経済的な豊かさだけではないことを教えてくれた。

考え方が変われば、行動も変わっていく。
行動ができるようになると、自分が欲しい人生を歩んでいけるようになる。

貧困脱出だったり、幸せに生きるための鍵であるような気がするのだ。

教育の機会というのは、その思考が変わる第一歩。
思考が変われば、言葉も変わり、行動も変わって行くと、マザーテレサも言っている。
自分以外の人にもそういう場を作って提供したいし、その人らしい人生送る機会を作りたいという想いが、ずっとある。

多分、自分自身が変わっていた経験があるからこそ、教育や人材育成というテーマが、自分が違う形で恩返しをして行くような気持ちで、果たすべき役割なんじゃないかと。

お金はなかったけど、導いてくれる師の存在や助けてくれる人や一緒に頑張る仲間や友達がそこにはいつもいた。あとは運の強さだろうか。

お金に変えられない財産だった。

思ったよりも早く、希望していた海外留学は、思いもよらぬ形で実現することになった。

失敗とか、挫折、思い通りにいかないことというのは、後になって振り返ると、決して悪いことだけではない。

結果として、そっちに行くべきじゃない、違う道を選ぶべきだったと教えてくれるような、成功への道標なのだ。

英語科に行っていたら、留学を紹介してくれた先生には出会わなかったし、結果1年間も、
南アフリカという、一生に行くか、いかないかという場所に留学し、アフリカの大地を踏むこともなかっただろう。

そうして、19年前の夏、宮城から初めての成田空港、そして海の外の世界へ飛び立った。

シンガポール経由、ヨハネスブルグで給油をして、ダーバンに到着した。

リアルに英語に触れて、ぶっちゃけ何をいているか全然わからなかったが、とにかく目の前に広がる異国の香りや風景が新鮮で興奮が冷めなかった。

そんな感動的な初めての海外で、空港を降りて最初に思ったこと、

それは、

「座りすぎて、おしり痛い!!」

だった。

初海外で27時間は、長かった。
本当に遠くまで来てしまったのだ。

続く


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