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「女神の継承」考察、解説2

前回に引き続き、「女神の継承」考察、解説をしていきたいと思います。

「女神の継承」考察、解説1|深志美由紀 (note.com)

まずは「1」にお目通しいただいてからこちらをお読みいただけますと幸いです。

さて、前回は現代の都会に憧れる若い女性ミンが、自ら、家系に憑く精霊であるバヤンと戦う決心をしたところまで考察しました。
ここでは、その戦いの過程と結果についての考察、解説をしようと思います。



ミンの失踪

母ノイをカメラで殴打し、祈祷場から逃げ出したミンは一ヶ月以上行方知れずになってしまいます。
その間、母ノイと伯父のマニはミンを探し続け、バヤンの巫女である叔母のニムはマックの自殺現場で祈り続けます。
ここで注目したいのは、ニムは自らの祈祷に強い根拠と自信を持っているわけではない、ということです。何が正しいかは分からないけれど、ただ、ひたすらに祈ることでバヤンからの啓示を待ちます。
そうしてようやく得た啓示により、ミンの異変の原因はマックではないと気付かされ、ヤサンティヤ家を呪う悪霊の存在を感じ取り、廃工場でミンを発見することができました。

一方、その間にミンは何をしていたのでしょうか。
発見されたときに軽い栄養失調だった、ということは、彼女はおそらく意識的に食事を摂っていたはずです。もしかすると山で摂れる蛇などの生肉を食していたかもしれません。
廃工場でのミンは、悪霊を自らの肉体へと宿す儀式を行っていたと思われます。これは既に悪霊が取り憑いていたせい、とも考えられますが、私的にはミンはバヤンを拒絶するために自らその道を選んだのではないかと予測します。
モーラム・ピー・ファー(霊媒師)、およびタイの僧侶が決してしてはいけない禁忌に「生肉食の禁止」があります。
ミンは善良な精霊の器としてふさわしくない人間になるために努力したはずです。


ミンとニムの能力の差

廃工場で発見されたミンは、もはやほとんど人間としての理性を失っているように見えました。
ニムはミンのために祈りを捧げようとバヤンの像のもとを訪れますが、なんと、バヤン像の頭部は何者かによって切り落とされています。
果たして誰がこんなことをしたのか、これは「首狩り男」の力を手に入れたミンの仕業だと考えられます。
この時点で、ミンは霊能力者、サイキッカーとしてニムの力を超えています。そもそも、ミンにはいわゆる霊能力的な才能があったのでバヤンと首狩り男は彼女を奪い合っているわけです。
しかも、ニムは本来であればバヤンに選ばれた人間ですらありません。神様や霊の力というのは、媒介する人間の能力によって発揮できる強さが左右されるというのがいわゆるスピリチュアル的な通例です。
ニムはバヤンの力を充分には発揮できず、ミンは首狩り男の力を最大限に利用できる、と考えて良いと思います。


ニムの葛藤、なぜニムは死んだのか

自宅に戻ったミンは廃人のように見えますが、ニム(バヤン)が現れると敵意を露わにします。
ニムがミンに対して祈祷を行い、水につけた指先から黒い血が流れ出し黒いものを嘔吐しているシーンがありますが、これはタイでの悪霊払いのポピュラーな儀式で、悪霊は指先(本来は足の指先)から出ていくと考えられているそうです。
ここでミンに憑いている悪霊の一部は祓われたのだと思われますが、このとき、ミンはニムを惑わせる言葉を投げかけます。
「お前の姉さん(ノイ)はお前に巫女を押し付けるためにありとあらゆることをやったんだ」

この言葉にニムは動揺してしまいます。
なぜバヤンがノイからニムへ継承者を変えたのか、インタビューでノイ本人が「なぜか分からない」と語っていました。恐らく家族内でもそのように言い張っていたのでしょう。
しかし、実は、姉は悪意を持って自分にバヤンを押し付けていた。
ショックを受けたニムは謝罪するノイに、感情を抑えつつ「気にしないで、ミンのことは助けるから」と応えます。
平気なフリをしつつも彼女は激しく葛藤したでしょう。そしてこの瞬間おそらく、バヤンに対する不信の芽が芽生えてしまいます。
なぜなら若かりしニムも本当はバヤンの巫女になどなりたくなかった、村を出て自由になりたかったからです。
自分を村に縛り付けるバヤン、姉がニムを犠牲にして平気で暮らしていること、都合の良い時にだけ助けを求めてくること、これらに対して彼女が恨みを感じたとして誰が責められるでしょう。

しかしそんな自らの感情には蓋をして、ニムはあくまでも巫女として正しい行いをしようとします。
自分ひとりの手には負えないと感じたニムが協力を求めた祈祷師は悪霊払いの儀式をすることを決め、ニムもそれに協力することになりますが、ここでまた、ノイはしてはいけないことをしてしまいます。
「バヤンって本当にいるの?継承者に選ばれたとき、私はバヤンを感じなかった」
これに対しニムは「バヤンはいるわ」と即答してノイを安心させますが、この「バヤンは本当にいるのか?」というノイの無神経な問いかけが、ニムの信仰心をさらに揺るがせることになってしまいます。
なぜなら、実はニムはこれまで一度も「バヤンを感じたことなどない」からです。

ニムは本来、バヤンの巫女になるべき人間ではなかった。そもそもの素養が低いのです。
そのぶん、信仰心と修行で巫女としてのつとめを果たそうと彼女は努力を続けてきたのでしょう。その結果、確かにバヤンは数々の奇跡を起こしてくれたはずですが、ここにきて、ノイの言動によってバヤンそのものへの不信感が芽生えてしまいました。

最後のインタビューでニムは泣きながら「正直言って、最初からバヤンが私の中にいるのか分からなかった」と告白します。
そしておそらく、その夜に亡くなってしまったのではないかと思われます。
ニムがバヤンの力を借りるためにはバヤンへの信仰心が必要だったのに、それを失ってしまえばニムはバヤンの巫女ではいられない。

ニムが死んだのはバヤンの加護を失ったために悪霊に負けたせいなのか、それとも、バヤンが信仰心を失ったニムを見捨てて罰を与えたせいなのか――それを「知る術はない」。


ミンの奇行の意味

優しいニムおばさんがひっそりと息を引き取っている中、ヤサンティヤ家ではミンの奇行に悩まされています。
ミンは夜な夜な家じゅうを徘徊し、荒し、穢し、鍵のあるドアをすり抜け、家族を病気にすることすらできてしまいます。
ちなみに、先程も書いたように「生肉を食すこと」は禁忌の象徴です。
そしてとうとう、ミンはペットの愛玩犬を鍋で煮て食べてしまいます。
さらに赤ん坊を連れ去り――幸い、この時、赤ちゃんは無事でした。

ここで前回記した「霊媒師の禁忌」を思い出してみましょう。
「人間、犬、蛇、馬、虎など」の肉を食していけない、というものです。
おそらく映画として、人道的に嫌悪感を催すのはこの動物たちの中では特に犬食なので、敢えて犬で表現しているのだと思いますが、ミンはこの禁忌を破ってバヤンを拒絶し、悪霊に完全に身を任せようとしているのです。
しかし、家族である赤ちゃん、ボンを食べることはできませんでした。
もともと何もしないつもりで連れ出したのではないはずです。彼女はご丁寧に刃物を持ち出していましたから。
でも「食べられなかった」。
おそらくミンの中にまだ少しの人間としての理性が残っていたからです。
発見された時にはミンの泣き声が聞こえます。人間を辞めることができない自分を彼女は嘆いているのです。

この段階ではまだ、悪霊は完全にミンを支配してはいません。


儀式で何が起こったのか

細かい儀式の内容はおいておいて、ともあれ、儀式は失敗してしまいます。
ちなみに「この車は赤い」ステッカーの意味は「縁起の悪い黒い車でも、赤いと書いておけば悪霊を騙すことができる」つまり、悪霊は騙されやすい、と祈祷師は笑っているわけです。

実際、ミンの洋服を着せたノイへ集めた悪霊を取り憑かせて、それを壷の中へ移動させることには成功しました。
ところがここでマニの妻がミンのいる部屋の封印を解いてしまったことで、悪霊たちはミンの居場所に気付いてしまいます。
ミンがなぜそう仕向けたかというと、とにかくミンは「バヤンの入り込む隙などないほどに悪霊に取り憑かれている必要がある」からです。

祈祷師が大量に集めた悪霊は概ねミンに取り憑きました。
その結果、ミンはとうとう「人間を食べられるようになった」のです。
また、儀式に参加していた僧侶たちも一様に人食いへと変容しています。
ちなみに余談ですが、近年にもタイでは悪霊が人を食った、とされている事件が起きています。
とにかく「悪霊に取り憑かれた人間は人を食う」のです。
こうして、無事にミンはバヤンを跳ね除けることに成功しました。と、思われたところで、もう一人の巫女が登場します。ミンの母、ノイです。


ノイには何が取り憑いていたのか

儀式失敗の絶望のさなか、ノイは突然に笑いだし「感じるの。私の中に女神がいる」と言い出します。

明らかにその様子はおかしいですが、その場に残された僧侶の弟子とマニはノイの言うがまま、新しい儀式を始めてしまいます。
その結果、彼らは次々に悪霊に取り憑かれてしまうわけですが……果たして、この時ノイに入り込んだのは本当にバヤンなのか?と皆さん疑問に感じると思います。
私が思うに、この時、ノイの中には本当にバヤンがいたはずです。
しかしここで思い出していただきたいのは、ノイはそもそも「禁忌の女」だということです。長年犬肉を売り、食い、殺生してきた人間です。
※追記、ピー・ファー継承の儀式を「葬式のある村内」でしてはいけない、という禁忌もあるようです。これが「死の穢れがある場所で精霊を継承してはいけない」という意味だとすれば、この場でバヤンを継承することそのものが禁忌を犯す行為である、ということになります。

そのため、おそらく彼女の中にいるバヤンは既に「悪霊(ピー・ポープ)」となっています。
タイ東北部では、巫女や僧侶が禁忌を破ることで、良い精霊は悪霊「ピー・ポープ」になります。悪霊がノイに取り憑いたのではなく、バヤンが悪霊となってしまったので、彼女は邪悪な行いをするのです。


継承の儀式もなしになぜノイにバヤンが取り憑いたかというのはおそらく、ノイがバヤンを拒むことを辞めてその存在を受け入れたこと、ノイ自身がバヤンの力を強く願ったこと、そして、ニムの死によってバヤンが器を失った状態だったことが大きいと思います。なにしろ、バヤンは本来であればノイを選んでいたのです。あんなに尽くしてくれたニムよりも、バヤンはノイを愛しているのです。

しかも、皮肉なことに、ノイはやはりニムよりも巫女としての資質が高い。バヤンを感じることもできれば、バヤンの神託に従い、習ったこともない儀式を執り行い、しっかりと結果を出すことができます。
マジでお前が最初から巫女を継いでればよかったんだよな~!!!としか言えません。ニムおばさん、本当に可哀想……。


ノイ(バヤン)とミンの戦いの結果

さて、いよいよ母子対決の最終決戦がやってきました。

ノイは「逆さ(タイでは逆さ事は非常に不吉です)の儀式」を行い、周囲の男たちに悪霊を取り憑かせます。
これはおそらく、ピー・ポープによる災厄であると共に、本来ここで行われる予定だった儀式の亜種、つまり「なるべく悪霊をミン以外の人間に憑けて、ミンの中に隙間を開ける」ための行動だったのではないかと推測します。ノイの中には既にバヤンがいるため、周囲の人間へ悪霊を押し付ける必要があったのです。酷い話ではありますが、バヤン的には、とにかく周りの人間はどうでもいいからさっさとミンの中に入りたいわけです。

なぜバヤンがそこまでして巫女を求めるかといえば、信仰する人間がいなくなれば、神は消滅してしまうから。

対面したノイはミンの前に立ち、バヤンの名のもとに悪霊払いを始めます。
この祓徐は一見、効いていないように見えますが、おそらくここでバヤンはあっさりとミンの中の悪霊を払うことに成功しています。
なぜならノイは「本物の巫女」で、「感じることができる能力者」だからです。彼女はニムとは違い、バヤンの力を存分に発揮することができるのです。
そしてノイはミンが正気に戻っていることを感じ取り、これ以降、悪霊ではなくミン本人に語りかけ始めます。

ノイ、めちゃくちゃ巫女として優秀やん。
だから最初からお前が巫女になってればよかったんだよ!!!!
ニムおばさん可哀想;;;;;

というわけで悪霊は祓われているはずですが、ミンは未だに邪悪なままです。本当にミン本人なの?と思われるでしょうが、ミンは映画冒頭のインタビューで「幽霊の真似なんて誰でもできる」と笑い、幽霊の声真似をします。そして、ノイの首をしめながらこの「幽霊の声真似」と同じ言葉を口にするのです。
これはつまり彼女が「フリをしている」という表現だと私は思いました。
ノイにはそれが分かっているので、「ミンに戻っているんでしょう」「謝るから」「まだ間に合うわ」と必死に彼女を説得しています。

そして最後に撮影クルーが襲われ、ミンはノイにガソリンをかけて火を放ちます。
なぜ、ノイのことをミンは食べなかったのか?
これはおそらく、ノイの中のバヤンごとノイを消滅させる意味があるのではないかと思うのですが、いろいろと調べてみましたが未だ明確な根拠を得られていません。何か見つけましたら追記したいと思います。

悪霊の力なしでも撮影クルーを食べることができたミンは、自身の存在そのものが恐ろしく邪悪な存在になってしまったのかもしれません。
きっと焼ける工場を抜け出して、村を出て都会の闇に紛れ、世間へ災厄をもたらしてゆくことでしょう。


以上が、私なりに解釈した「女神の継承」の考察となります。
長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
映画内の小ネタなどの解説は、余力が合ったらまた次回に記そうと思います。


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