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仏陀はたぶん宇宙の真理を体得したのでしょう

ALOHA! みゆひょんでーす♪

いつものことですが、今回も戯れ言ですよ~。あまりマジに受け取らないでね。「おまえは勉強不足だ」なんてコメントもやめてくださいね。勉強不足なのは本人が一番よく知っています。

何でこんなにエクスキューズしてから文章を書かないといけないんでしょうかね? 別にコンプライアンス的に問題のないことを書こうとしているのに。人はコンプライアンス違反も嫌いですが、無知・不勉強も嫌いなんですね。ほっとけよw 嫌な世の中です。

まあそもそも宗教の話はやばいんですよね。それでも今回は仏陀は偉大だったということを書こうとしています。

色即是空・空即是色って、まるで量子論

おばあさんが信仰に熱心な人で、どれだけ理解していたかは不明ですが、よく般若心経を唱えていました。高校の倫理社会の時間に改めて習ったのですが、書いてあることはわかっても、何がいいたいのか意味不明でした。

特に肝となる「色即是空・空即是色」がまるでわかりません。

「色」は実体であり、「空」とは変化するものということです。ちなみに「無」は何もないということで、空と無は明らかに違いますが、混同されやすい概念です。

「色即是空・空即是色」とは、「実体とは変化するものであり、変化こそが実体である」ということですが、それで何を言っているのかわかる人がどれだけいるのでしょうか。したり顔で「諸行無常のことだよ」と言われてもなあと、「君って何にも言ってねえ」という感じです。

ところが量子論というのをかじって何となく合点がいきました。原子以下の小さな粒子を量子というそうですが、量子というのは位置が決まらず、確率的に分布しているのだそうです。

これもまた意味不明ですが、要するに同時にいろんなところに存在できるということで(「要するに」と書きましたが「同時にいろんなところに存在できる」もよくわかりません。しかし実験で確かめられた「事実」らしいです)、裏を返せば幽霊みたいなもので実体がないに等しい。

物質(といっていいのかも、もはやわからなくなっていますが)の基礎である量子に実体がないのなら、それらでできているあらゆる物質に実体がないということになります。

これって何となく(もはやどちらもよくわからないのですがw)、色即是空・空即是色と親和性が高い気がします。

時間には最小単位がある

時間にそれ以上分割できない最小単位があるのかというのは、古代ギリシャから議論されてきたことだと思います。

仏教では時間の最小単位があるとされていて、それを「刹那」と呼んでいます。諸説ありますが、1刹那は75分の1秒ぐらいだと言います。

時間に最小単位があるということは、時間とはアナログな連続量ではなく、デジタルな離散量であるということを意味します。つまり時間は途切れ途切れだということです。

そんなバカなことはあるまいと思うのですが、量子論にはプランク時間という概念があります。これは約5.39x10の-44乗秒よりも短い時間は測定できないというものでして、実質的に時間は途切れ途切れであることを意味します。

75分の1秒よりははるかにはるかに短い時間ですが、時間には最小単位があるという意味では同じことです。

仏陀は、時間とは最小単位のある離散量であると見通していたのではないでしょうか?

悟りとは真理を知ること

その他にも、仏陀よりかなり後の時代に立てられた大乗仏教の学説で八識説というのがあります。これはフロイトやユングの無意識ととても似ています。

悟りとは、煩悩から脱却することのように言われますが、本来は「真理を知ること」です。

仏陀は、19世紀~20世紀に人類が発見したことを2,500年も前に見通していたという意味で、宇宙の真理を体得したのではないでしょうか。しかし当時の人々に自分が知り得たことを説明するのは困難だったので、宗教的な色合いをつけたのではないかと思うのです。

しつこいようですが妄想ですからね。



自分のしたいことと向き合うことで、わたしはしあわせになれたと思っています。わたしの生き方を知って、ちょっとでも癒やされる人がいればいいなあという気持ちで書いています。スキやフォローは本当に励みになりますので、よろしくお願いいたします。