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初めての一人暮らし

私の初めての一人暮らしとは、高校を卒業して京都市内の短大に通うことになった、平成の初め頃のこと。北野天満宮にほど近い学生向けのアパートで、南向きの日当たりの良い部屋だった。

引越のことに思いを巡らすと、京都府北部の実家から、父の運転するハイエース(レンタカー)一台に、荷物をすべて詰めていったことが驚きを持って思い出される。すべての荷物とはつまり、冷蔵庫、洗濯機(しかも二槽式)、電子レンジ、テレビデオにテレビ台、パイプベッドと布団一式、炊飯器と当座の調理道具に食料、電話機と確か電話台、もちろん私の服や勉強道具、辞書などが詰まったミカン箱いくつかと、折りたたみではない普通の椅子と脚が取り外せるローテーブル、さらに天井取り付けの照明と自転車にカーペットまで。そしてそのハイエースの前方部分に両親と私、妹2人の5人が乗って行って、皆で運び込んで引越を終え、近所のファミレスでお昼を食べて別れた記憶が。

新しい部屋での荷物運び込み最中に父が買ってきてくれたのは、伸縮するステンレスの洗濯物干し竿。急に姿が見えなくなった父が、近所の商店街の金物屋から物干し竿をかついでニコニコと帰ってきてくれた姿を思い出す。その物干し竿はおよそ30年後の今も、こうしてパソコンに向かっている私の部屋のベランダで活躍中である。

車で3時間程度と距離はあれど、父がこのアパート近くの病院に定期的に通っていたこともあり、物資や食料などは父が都度届けてくれたし、毛布やホットカーペットは、冬になる前にこれまた父が届けてくれたと記憶している。

当時、5人家族だった我が家には“私の部屋”というものがなかった。また、認知症で寝たきりだった祖母を、家族で介護した末に実家で見送った後だったこともあり、私は実家での生活に少し疲れていて、ともかく私の部屋!初めての一人暮らし!というものにワクワクしていただけだった気がする。
当然ながらその後現在に至るまで、断続的ながらも約30年もの間一人暮らしを継続することになるなど想像すら出来ず、その時点ではそれなりの家具を買うなどということを考えもしなかったし必要だとも思わなかった。
短大の2年間、洋服類はミカン箱が収納場所、また固定電話は電話台に載っていたのに炊飯器は床に直置きで使っていたっけ。

さてワクワクドキドキの一人暮らしが始まった初日の夜、私は初めてのベッドから転落(実家ではずっと布団だった)、その後も何度か転落、張り切って作った親子丼をちまちま数日かけて食べていたら食中毒を起こした1年目の夏、また2年目の夏にはベランダで使っていた洗濯機の蓋が台風で飛んで行って、風雨が収まった後道路まで拾いに行ったり。2回生の冬には忘れもしない阪神淡路大震災が起きたこともよく憶えている。

時は巡り令和の今春、姪っ子が高校を卒業して初めての一人暮らしを始める準備をしている。一人暮らし歴の長い私にいろいろ生活について訊ねてくれることもあり、当時を思い出してつらつらと書き出してみた。

姪っ子は、オートロック付きバストイレ別独立洗面台付きの学生向けマンションに決めたらしい。私と違って4年間を過ごすので、家電類も新品をそろえるそうだ。なんだか贅沢にも見えるが、30年前とは学生を取り巻く環境も、日本全体の治安などもずいぶん変わった。
姪っ子は伯母目線ながら素直で真面目な頑張り屋さんだ。実りある学生生活を満喫できるよう、私もできる限りサポートしたい。

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