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心のシャッターを閉めてみる時

温かくなりましたね😊
裏に大きな畑があるからか

今までは出てきた事のない
「ムカデ」がでるようになりました😂

3日前くらいかな?👀
過去は 「ヤスデ」でした。
今は「ムカデ」

2日連続で2階の部屋に出まして
私が退治するのですが

ムカデとは蠍のように赤黒く光りますし
何とも不気味でした😂
何より危険ですので害虫駆除を頼もうか考えていた矢先(*´˘`*)

さて害虫が出る時。
季節は全く関係なく あるモノを受けると
真冬でも出るのです☺️

その あるモノから姿を消すと
ヤスデも消えます。

今はムカデに進化してますが🤣
出なくなりました🙂‍↕️

害虫が誰かもわからない場合には。

換気の為に開けていた窓は閉めます。
対策をし引越してもいいです。

他人は「換気が大事」と言っても
害を及ぼす害虫が入ってきているので
「開けろ」とは言いません。
「閉める」ですね。

身を守る事が先決です。
誰にどう思われようとも自分を守れるのは
自分しかいません。

ただ榊が守ってくれています。
新芽?など初めて見ましたが
榊を飾る理由のひとつに おじいちゃんが居た頃
榊を作っていたからもあります。

薄緑は新芽?
何十年も飾り続けた中で
初めて見ました。

ド田舎のおじいちゃん家は年中
窓開けっ放しの吹き抜け状態、虫とは友達状態でも「ムカデ」は1度しか出た事がない

当時刺された叔母は高熱を出し苦しんでいたような記憶。
誰にも話さず1人横になっていて

さすがにと思った叔母は「病院に行く」と。
祖母→「キンカン塗れば治る」
祖父→「人に頼み高熱の叔母を病院へ」

祖母は今 認知症にて施設ですが
まぁ、そういう方です苦笑

祖父は祖母を心から愛していた為
怒る姿は見た事ありませんでしたが

その言葉に初めて愛する祖母へ
顔を真っ赤にし怒りだし
あっという間に車を出して下さる方に頼み
動けなく意識朦朧とする叔母を救う人。

祖父も放任主義のタイプでしたが
「危険」の場合は必ず動き守ります。
祖父はお人好しですので相手が誰であれ
先読みし見抜き悟りますが助けてしまう人でした。

他人だろうが身内だろうが関係ない。
なので人脈は熱い方でしたが
祖父の性格を上手く利用し操り逃げるなら
まだ可愛いですが

攻撃までする方々もおりました。
それでも許す祖父。

祖父は織田信長ではなく正々堂々なだけでした。
明智光秀でもない。
豊臣秀吉でもない。

戦国時代で誰がマシなのか考えた所で
誰だとしても結論一緒です。

平安時代も同じ。

私が望むのは戦国時代でも平安時代でもない。
もっと遥昔の生き方や在り方です。
縄文時代が1番近いですが それより遥か昔です。

マンモスを狩りに男性が出向き
女性は周りを整え安全を祈りながら
全員に行き渡るよう調理をし
男性を労り、子供たちを守り

全員で円を囲み狩りで頂いたマンモスに敬意を払い血肉とする。

戦国時代や平安時代のように「取り合い」や「地位名誉」などない人間らしさ。

みんなで生きる為 みんなで支え合い
笑い合う世界。
これが上も下もない原点と私は思います。

物質がない分それが当たり前。

人類みな兄弟であり全員が
「生きる」という事
ただそれだけだと。

誰と競う必要もない。

時代が進化し利便性が増えるのは確かに便利で生きやすい。

しかし それを得る為には戦わなければいけない
どんな手法でも

いい暮らしや愛する方々に素敵な景色や物質を与える為には手にしなければいけない。

という事は。
ずっと戦国時代や平安時代なのですよね。

目に見える形で「戦争」で血を見る事がなくなっただけ。
戦争している国もありますがね☺️

誰も傷つけず自分も傷を負わず生きるには
今の時代に私は合わなすぎる。

私は織田信長にも紫式部にも憧れない。
豊臣秀吉にも小野妹子にも憧れない。

そういう時代もあったのだと見て学び知る事が楽しかっただけであり
なりたいや欲しいは綺麗事ではなく本当に昔からなかったのです。

心では王妃になりたいのでしょう?
違うのです。

ホームレスでも「生きる」だけならできます。
つまり何を失っても失わない事がある。

なので拘りがない。

過去からそうでした。

何もしない望みがないほうが

(過去に私が救われた著名人に会いたいと静かに思っていた)

勝手に連れ出され会う事ができ覚えられるまで叶っていた。
昔からそうだったのです。

私は連れていって頂いただけが
逆に「感謝」されていたという訳の分からない状態が普通で。
(私の生き様に救われたと言っていて
著名人に頼み込んで不可能を可能にして下さった)

心からの願いは叶ってしまっていた。
それは力を入れていないから。

なので何をして頂いたなど私は書く必要はなく。
教えるにしても肩の力を抜くや心からの願いなら
知らぬ間に叶うのだとしか言えず。

それは今の時代には一般的ではない為
どうしたって「不自然」となる。

願望がないなど つまらないとなります。

願いならばマンモスを追いかけ みんなで平和に食べ みんなで雑魚寝や川で水浴びの世界です。
天国の在り方に近いからです。

10代の頃から変わらずにある願い。
それは幻を追いかけるメンヘラ扱いされても仕方ないのですよね🍀

望まなくとも来てくれるのは「愛」だったりする
高いから安いからではなく
ここの○○は好きだなという事は叶えたいわけではなく手元に来る。
それは欲しいモノではなくとも「心」が嬉しいのです。

今まで頂いたプレゼントで1番嬉しかったのが
食えたものではない
「芯だらけのお粥」
を一生覚えているように。

姫扱いが大好きな男は目に見える たくさんの金品やら女子が喜ぶモノやら見かけだけの高級レストランへなど手を替え品を替え私を連れ出しますが

高い=良いではなく
心が動かされないのです。
私は姫でも王妃でもない望んでいない為
冠や城やドレスは不要のように。

そうなるとキレ出すという方々もいたかな。
そりゃ怒るよねw
普通の女子ならば必ず喜ぶ事です。
それを喜ばないのだから。
心が動かないの私を見たら怒るよね。

(それなら私は本が嬉しいみたいな)

なので あなたには王妃や姫を望む女性を選ぶ事だと若いながら思っていました。

(特別扱いされ美しい物に囲まれ喜ぶ姫か
私なのだから当然という王妃)

で未だに理解される事のない心からの想いとは
これだけなのです。

「心貫くHateもfamily
君が信じる神様の遊び捧げる事に注いだ命」

神は遊びたく楽しむ為に生み出した物体な私たち。
という事は叶わない願いを口にすれば動けば
Hateに出会うのは当たり前。

願望があるのが自然。
ないなど嘘つくなになる
綺麗事言うなになる

だから心貫くHateもfamilyとなるのです。
神様には自然と同じで抗えない。
神の遊びを信じ捧げる命の中で
心貫くHateもfamilyとし

誤解も攻撃も心ない言葉さえ
「愛」としfamilyとするという。
今まで誰にも言わない願いです。

だからどんな自分も偽らない。
腹で怒っていたり妬んでいる事を隠し
言葉だけ飾らない。

無駄な知恵より本能で生きる表現する強さが自然体。

私は違った人を妬むはなく嫌いはありますが
隠しません。

嫌いと言います。
それが集まってくるHateに囲まれたら
打ち消すくらい強く在ればHateがfamilyとなるのです。

違和感は いずれバレる。
まして嘘が嫌いでしたくない。
そんな いやらしい知恵など要らない。

それを誰に言う必要もない
言った所で簡単にいえばでメンヘラ扱いにて終わり。

それでいいのです。

自分が違うという事を自分が知っていれば
見下されようが利用されようが
ありがとうございますと言える余裕ができます。


そして季節は終わりまた始まり繰り返していくだけ。

「生と死」を繰り返す。

ならば何も要らない
私が私で在るという凛とした誓いを
自分自身で契りを交わすのみ。

鈴蘭が昔から惹かれるの
朽ち方は椿であり切腹し消える✨️





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