色々絞れない人の、いつもの葛藤

ずっと言ってないで、そういう内容をそのまま書け、と言ってくださった方がいて、もうそのまま書くことにした。

今までいろいろなことをやってきた。ほんとうは、一つの分野に定めて、早くから修練、経験を積み、その道のエキスパート、ベテラン、プロになっていたかった。そうしたら、何しろ自信も持てるし、人さまの役に立てるし、それを職業にして生きていけるかもしれないし。その道一筋の分野を持っていることは、わたしのあこがれだ。

何しろベテランになるには、積み重ねる時間、経験が必要だから、早く分野を絞れてないと、そうでなくても今から始めても遅いのに、見つけられないうちに人生終わっちゃうじゃん、、と焦燥感、悲愴感にかられて、わたし、何もなしとげないで終わっちゃうのかなと、時々泣きたくなる。

すでに名前がついて既に世の中にあり、言えばみんなが知っているものよりも、もっとその根元にあるものを扱っていたり、ことばで説明しづらいものだったり、何かと何かの間にひっそり存在しているようなものだったりに関心があり、何か自分のアンテナにひっかかってきたものは、分野がいろいろでも構わずトライしてきた。

それらは一見ばらばらに見えて、共通のものがある気がして(自分の中での)、それをわたしはことばにしたい、形にしたいのだけれど、何と言っていいか、どこから手をつけていいか、書こうとすると書くことないような気がしたり、自分が思ってたよりつまらなく、大したことなく感じたり。。

けれど、もし私と同じようなことを感じたり、思ったりする人が世界のどこかにいるなら見つけてもらいたい。とはやっぱり思っていて、少しずつ書いてみることにしよう、と思っている。

もうここまできたら、「むしろ色々やってきたことがよかったね」という人生、ということなのだろう。

昔、ある人に、地球に生まれてくるのに、何らかのお役割がある人もいれば、観光に来てるだけの人もいる、という話をされていて、そのとき自分からでてきた答えは「観光」ということだった。やっぱりそうだったか、よかったな~と思った半面、好きにしていいといわれても、その「好き」がうまくわからなくて困ってるんだけどな、と思っていた。(観光っていったって、お金を稼がなくてはいけないしな。)

「観光」であれば、「何を感じるために観光にきたか」という観光の目的があるはず、という今日いただいたヒント。まだくっきり言えないけど、たしかに何か感じたいものがあって、いろいろなことにトライしてきてみたのかもしれない。そこを自分で見つけてすっきりできたらいいなと思う。






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