仕事について〜思い出したこと

今朝、ふと思い出した、10年前くらいのある一コマ。昔の師匠(おない年の友人でもあった)との会話


師匠 「できもしないのに、やりたいと思っていないのに、仕事引き受けるな、やりますって言うな!」


私 「やってみなきゃ、できるかもわからないじゃんないの?」

「今の時点でできることだけしか、やるって言わないなら、
    何にもできないじゃん。やれることやノウハウ増えないじゃん。」

「仕事ってやりたいかじゃなくて、やる必要があるならやるだけだ。
(自分ができるかどうか、やりたいかどうかなんて関係ない!)」

「やらざる得なくてやってみて、次からはそれができる人になるんじゃないの?新しい分野のことやるんだから、なおさら仕方ないじゃん。」


師匠 「やりたくないことは、やっちゃいけない。」
「当たり前じゃん!やりたくないことやるって、おかしいじゃん。」

「”気“がいいことの方が大切なんだよ。すべてなんだよ。」

「昔、一緒に仕事手伝ってくれた人で、目をキラキラさせて、「やってみたいです!やります!」で手をつけて、ほんとうに心から気持ちよくやってくれていて、それでいて結果「すみません、ここまでしかできなかった…。」ってことあったけど、それで全然いいんだよ。楽しくやってくれていたんだ。」


私 「えー!それ最悪じゃん。」

「会社では、性格なんてよくなくていいから、
(性格悪いくらいの人の方が安心して任せられると言う上司もいた。
いい人で「やれませんでした」が、一番最悪。許されない。
「いい人なんて、いらない」という世界)
文句百万言ってもいいから、
なんとしてでも結果仕上がるってことの方が重要だ。
お客さんもあることだし、絶対に期日は死守しないといけない。」

「「やる気はあったんですけど、間に合いませんでした」なんて最大の迷惑だ!あり得ない…。」

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企業に勤めていたのを、大決断して辞めて、もともと習っていた踊り(舞というか)と整体の師匠であったH先生のアシスタントの仕事をしていたときの会話だった。

香りが大好きだった先生が、その関係の仕事もしてみようとしていて、樹脂香に関する調べもののために、随分前に英語の本の必要箇所の翻訳を引き受けたのに、わたしがなかなか手をつけず、時間がたってしまったことがあった。色々言い訳や事情はあったのだけれど、実はそんなにすごく興味を持てていなかったのに(この頃は自分が好きか苦手かの区別もまったくつかない人だった…自分のことをわかっていなさ過ぎた。)、ほかにできる人いないし、自分なら“頑張らせれば”やれるだろう、仕事だし、と引き受けて、期限もはっきりしなかったのもあって、ずるずる後に回っていたのだった。このとき、仕事ってものについての捉え方を話していたのが上の会話。

ガチガチの金融機関で関係者多数でやっていくプロジェクトものの仕事が多かった(それに参っていた…)わたしと、個人で自分のビジネスをしていこうとしていた先生

ガチガチの体で、当然思考もガチガチで、自分に無理に無理を重ねさせて、会社人間、仕事マシーンになっていた(そうしないとやっていけなかったので、自分に合ってない分、過剰適応で頑張ってきちゃった)わたしと、子どもの頃から(これまた、よくこれまで生きてこられたねと思うほど…極端に)いっさい周りに合わせることなく、自分のまま生きてきた先生(「これはこれで大変なんだよ…」とよく言っていた。)

いまは両者の立場での言いたいことはわかるけど、噛み合ってなかった当時のわたしたち。勤めてた企業と個人のビジネスで、その求める方向も内容も、もちろんまったく違っていたし。(先生との仕事は数ヶ月で終わりになった。)

いまのわたしはもう、先生がよしとする側の世界にいる。先生の言う通りだなと思う。(わかっていても、まだ企業勤め当時に身につけてしまったパターンやトラウマ、もともと幼少期から身につけてきてしまったパターンは残っていて、顔をのぞかせるときはあって、最近でもまだ残ってるかとびっくり。仕事の大小にかかわらず…)

自分が望んでない仕事の内容でも、やり方でも、有無を言えず、恨みを胸にためながら、しかもプライドと正義感、責任感で、なんとしてでもやり遂げる…、なんという重い、重い、悪い“気”を発していたことか…(怖い…。いや、絶対いいわけない。)目に見える結果だけを求められる世界では、気持ちよくやっているかなんて部分は問われなかったわけだけれど。

そして自分はいつも“やらされる”被害者でいられた。いつも外側から要請されることに応えなければいけなかったから、自分がどうしたいとか、やりたくてやるとかってなに?って感じだった。やりたいかどうかより、必要かどうか、しないといけないかどうかでしょ!と本気で思っていた。

自分が個人としてしていくビジネスは、自分がどうしたいが起点、「こうなったら、こういうものができたらいいな」の熱い思いがスタートなのだから、そして関わる人のそういった気持ちや態度が即現れるものだから、当時のわたしのような歪んだ仕事マシーンのやり方、態度ではやれるわけなかった。当たり前だけど被害者思考、受け身人間でやれるわけがない。

「”気“がいいことの方が大切なんだよ。すべてなんだよ。」

ほんとうだね。ほんとうです、H先生。(お元気ですかね?)

仕事であろうと、それ以外のことであろうと、なんでも、ほんとうに自分のまごころからやりたい。わだかまりのない、すっきりした気持ちで、穏やかに楽しんでやれるといいな。



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