トリプルクラウナー 清田勝さん
1989年大阪府生まれ、
2017年Pacific Crest Trail 4265km、
2018年Appalachian Trail 3500km
2019年Continental Divide Trail5000kmを踏破
日本人6人目のトリプルクラウナー(アメリカの三大トレイルを制覇)
清田さんは距離の長い登山道・自然歩道をワンシーズン以内で通してハイキング・徒歩する。そんな人をスルーハイカーと呼ぶ。
そして数ある長距離トレイルのなかでも有名なアメリカの三大トレイルを制覇した日本人としては6人目のトリプルクラウナーである。
西海岸側の赤いラインがパシフィック ・クレスト・トレイル4265km
内陸の青いラインがコンティネンタル・ディバイド・トレイル3500km
東側の緑のラインがアパラチアン・トレイル5000kmである。
これを歩いてきたなんてすごいね。
簡単に言うと、食糧と水とテントを持って最終地点まで歩くこと、でもその間にはエンジェルというサポートする人や、一緒に歩く仲間ができたりと、
過酷な中に愛があり、人情があり、沢山のドラマがあるそうだ。
もっと彼を知りたい人は以下でどうぞ!
さて彼との出会いは、
2013/05/05に中学校教員時代のサッカー部員の小川 弥敏くんからのメッセージで始まる。
「僕がいる会社で、先日まで勤めてた男の子が自転車で日本一周していて今、小笠原らしいです。サッカー小僧なんでお時間あれば会ってやってください。」
こんなメッセージはもちろん嬉しいのだが、もっと嬉しいのは時間とタイミングだ。
小川くんは2013/4/26に「宮澤先生お元気ですか!どこで何をやってるんですか?」で始まっている。
その10日後に清田くんが小笠原にいる、会って欲しいとメーセージをくれたわけだ。
20年ぶりに僕を探して連絡くれた小川くん、その後輩が小笠原にきているから、僕に合わせたいと言ってくれている。
そんな嬉しいことってあるんだろうか!
そんな清田くんと会うのがとても楽しみになった。
そして清田くんと母島で会うわけだが、彼の目と笑顔を見た途端にもう小川くんに感謝した。
なんと表現していいかわからないが、いい奴だった。
その日から我が家に泊まってもらうことにした、すぐに子供達もなつき、翌日は早朝から海へ行きビーチでボールを蹴った。
日本一周の途中で来てくれたわけだが、次は世界一周をしてみたいと言っていた。
僕がラッキーなのは、大学を卒業した若い彼が大阪から上京し、会社に務め、自分の人生に違和感を感じ、
会社を辞め、自転車日本一周という新しいスタートを始め、
次へのチャレンジを模索している、悩みもあり、少し不安もありそうな清田くんに会えたこと、
そこから人が成長する姿をみれていること、悩んだ若い世代の相談を受けると、僕は必ず清田くんの話をする。
そして若い世代の人もそうでない人も
一回しかない短い人生を、
後悔しないように一生懸命生きている
彼の生き方と自分を置き換えて考えてみるのもいいかもしれない。
今からではもう遅いという考え方を
今ならまだ間に合う
今がスタートだと
それは何歳からでもできると思う。
そして僕はいつの間にか弟のような、息子のような清田くんのことを
MASARUと呼んでいる。
MASARUの生き方をまだまだ楽しませてもらおうと思っている。
最後まで読んでもらってありがとう
kan