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ずっと逢いたかった大学の同級生 久保田譲さん

皆さんは今から30年前に北海道でマラソンで有名な瀬古利彦監督のエスビー食品陸上競技部員交通死亡事故があったのを覚えていますか?
ご存知ですか?

事故の概要は:1990年8月23日午後1時頃、北海道常呂郡常呂町の国道238号線で合宿を終えて女満別空港へ移動中エスビー食品陸上部を乗せたワゴン車が対向車線にはみ出し、前から走っていたトラックと正面衝突し、ワゴン車は道路下に転落し大破した。

この事故でワゴン車に乗っていた部員の金井豊と谷口伴之、コーチとマネージャーの4名とトラック運転手の計5名が死亡。

当時、僕は26歳。ブラジルにいたのでこのニュースを知ったのは最近のことです。

その事故が先日の9月14日僕の誕生日に会いたかった友人と繋げてくれました。

会いたかった彼の名前は久保田譲くん、大学入学から4年間同じクラスでした。
彼は関西の報徳学園陸上部出身、陸上を知らない僕でも報徳学園の陸上部なんて!すげーな!と思っていました。
久保田くんはもちろん陸上部で練習も一生懸命、学校も休まず学業も怠らず、運動生理学を熱心に学んでいた印象があります。
そしていつも笑顔で周りのみんなに気を遣って、気付いてくれる、世話を焼いてくれるタイプ。

卒論で苦しんでいる時も相当なアドバイスをもらいました。かれのおかげで卒業できたと言っても過言ではありません。

そんな久保田くんへの僕からのお礼は夜の街を案内することでした。
僕は学校や練習は休んでも渋谷と六本木は皆勤賞だったので。それぐらいしかお礼ができませんでした。

そんな久保田くんとは卒業式で別れらしい別れんもできず、またどこかで会えるだろうなんて思っていました。

卒業後は僕はブラジルにサッカーしに行くかも!
久保田くんはエスビー食品陸上部に入るかも!
が唯一の情報でした。

今考えれば携帯もパソコンもメールも無い時代だから卒業してから会えるかなんてまず無理だった。

でもいつか会って「久保田くんのおかげで卒業できたよ」とお礼をいいたいと思っていました。

そしてそれなりに慌しくも落ち着かない人生を生きて、いつか久保田くんに会いたいが、いつか会えたらいいな〜に変化もしていました。

そんな今年の誕生日を迎える数日前に友人から何十年も思い浮かばなかった「報徳学園」と言うキーワードが届いた。

そこから、「エスビー食品陸上部マネージャーになるかも!」の情報からエスビー食品陸上部を調べて行くとヒットするのはエスビー食品陸上部交通事故ばかり、もしかしたら彼のことだから素晴らしいマネージャーになりそこまで行くと、有力選手のサポートも任され、もしかしたら、事故車に同乗していたのでは、それだけはあってほしくないと、思いながらただ会いたい気持ちでキーを押し続けていました。

そしてとうとう9月14日の僕の誕生日に久保田くんにメールで連絡することができました。

現代の情報網に感謝。

ネット上ですが僕にとっては34年ぶりの記念すべき素晴らしい再会です。
卒業後の話を聞くと久保田くんはエスビー食品陸上部のマネージャーになり、この事故車に乗り合わせていました。


いろいろと話しました。
最後に一言「この事故のことを忘れてほしく無い」と言ってくれました。
僕にとってはこの事故が久保田くんと再会させてくれた気がします。
是非みなさんにもこの事故のことを心のどこかに留め置いていただけると嬉しいです。



そしてこの事故の犠牲になった方々ご家族に哀悼の意を表します。
そしてこの事故から学ぶことは沢山あると思います。
・・・明日に続く。

長文おつきあいありがとうございました。