宗麟の子供

少し前にまとめたものです。
これが正しいかどうかはわかりませんが、創作ではこんな感じでいこうかなと。
何を読んでこうまとめたのかは覚えてない…

宗麟には7人側室がいたとあるが、側室との間の子は少ない。
記録にないのか奈多の子として扱われてるのかはそれはわからないけども。

奈多夫人が宗麟より年上だったという説があり、さらに、宗麟の三番目の妻が奈多夫人の姉だという説をあわせると、第三夫人が宗麟と再婚(1578年)したのは少なくとも50歳を超えてからということになるので出産が年齢的にかなり厳しいんでねえかなと思いました。フロイスは再婚したとき第三夫人は40歳超えだったと書いているので多分第三夫人は宗麟より年下なんじゃないかなーと…


これiPadのノートアプリで書いてたんですけどね。メモしたものがだいぶ消えちゃっててショックでしたね。勉強はアナログの方が良いのかも知れないです。

とまあ、こんな感じで偉そうに勉強勉強言ってるけど、全然理解が進まなくてつらい。世の大半の歴史書は私にとって難解すぎる。読める本を探す方が難しい。しかしどうにか一日一時間は勉強に充てたいなあ…

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