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田舎の風景が予兆していたこと

世界的に有名な英出身の霊長類学者、ジェーン・グドール博士は、新型コロナウイルスの流行は「人類が自然を無視し、動物を軽視したこと」に原因があると指摘している。詳しい記事はこちらを参照。

「我々が自然を無視し、地球を共有すべき動物たちを軽視した結果、パンデミックが発生した。これは何年も前から予想されてきたことだ。
例えば、われわれが森を破壊すると、森にいるさまざまな種の動物が近接して生きていかざるを得なくなり、その結果、病気が動物から動物へと伝染する。そして、病気をうつされた動物が人間と密接に接触するようになり、人間に伝染する可能性が高まる。
動物たちは、食用として狩られ、食肉市場で売られる。また、世界中にある集約農場には動物たちが容赦なく詰め込まれている。こうした環境で、ウイルスが種の壁を越えて動物から人間に伝染する機会が生まれるのだ。」

今思い起こせば、20世紀の経済成長はまさに博士が言っている通りの時代だった。私が生まれ育った群馬県吾妻郡中之条町でも、東電が新潟の柏崎刈羽発電所から東京へ電気を運ぶために50万ボルトの高圧線を敷いた。上信越国立公園の山々を越えるためには、まず山を切り開いて大型のトレーラーが通れる道を作らなければならない。大きな建設施設とともに巨大な鉄塔と変電所がいくつも作られる。そうすると、それまで手つかずだった自然の山々は分断され、そこで暮らしていた野生動物たちは移動を迫られる。その結果、人間の住む里にも猿や熊、鹿などの野生動物が出てくるようになる。一度容易に手に入る柿や野菜の味を知った彼らはそこを新たな住処にする。同じ頃、植林した山に入らなくなった人間は山を放置してしまった。

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その結果が上にあるような風景の出現だ。自然を無視し、動物たちを軽視した結果の風景だ。

父は私が子供の頃、夏休みには必ず山へ連れて行った。杉を植林した山の下草刈りという大変な作業の手伝いをさせられた。「お前が東京に行ったら、この木を切って家を建てるんだ」と言われ、いやいや手伝った記憶がある。残念ながら私のためにその山の木は1本も切ったことはない。父が育てた山々は兄に継がれた。しかし兄は専業農家として生き残るために、山からの獣たちとの戦いに挑まざるを得なかった。山は木を育てるところから、獣の住処へと変わった。おそらく日本でも最初に村を電牧(でんぼく)と呼ばれる有刺鉄線で囲み、NHKが取材に来たこともあった。「猿が檻にいるのではなく、人間が檻に入ってどうするんだと」兄に言ったことがある。

しかし、この田舎の風景の犠牲や兄たちの獣との戦いは、東京のためだった。私たち東京に暮らす人間が自由に豊富な電力を使うための犠牲だった。その電力をふんだんに使って、コンビニが登場し始め、お年寄りでも一人で簡単に食事ができるようになった。もちろん車でガソリンを使って買い物に行く。そして徐々に昔からの商店街の風景も変わっていってしまった。

私たちは自然界の一部であり、自然界に依存しており、それを破壊することは子どもたちから未来を奪うことに他ならないということに気付かねばならない。

世界中で行われているロックダウン、都市封鎖という初めての経験から我々は何を学ぶべきなのか。今までの拡大成長主義、大規模資本主義、多数決による民主主義などの行き着いた結末が今目の前にはっきりと現れている。このままでいいとは誰もが思わない。まだ先の見えないポストコロナの時代を、そろそろ考えていかなければならない。

子どもたちの未来のために。

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