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無敵の人に、なりたくて。

「無敵」。
その意味は敵がいないということ。
ひいては、敵を作らないこと。


「無敵」という言葉を初めて知ったのはもう思い出せないけど。
「無敵」について初めて考えたのは、小学校2年生。8歳のとき。


ある絵本を読んだ。

Aくんは体は小さいけれど、誰にでも優しい男の子。
同じクラスのBくんは、ガキ大将。力も強く、喧嘩に負けない男の子。

そんなBくんを見て、Aくんは「僕もああなりたい」と言った。
「まさしくBくんは無敵だ。誰にも負けない」

そこにC子ちゃんが現れる。否定する。
「Bくんは確かに強いけど、いつも喧嘩してばかり。でもAくんは誰からも好かれてる。
『無敵の人』っていうのは、そもそも敵なんていない、Aくんのことを言うのよ」
と。


この絵本を読んで以来「無敵の人」になろうと思った。


しかし昨今、「無敵の人」という使われ方はマイナスなイメージを持っている。
何も恐れることがないから。
失うものがないから。
犯罪に手を染める人を指している。

俺の知っている「無敵」とは全くもって違う。
かなしい。

そもそも「無敵の人」と呼ばれる、社会から爪弾きにされた(と感じている)人にとっては、
きっと自分が「無敵」なんて思わない。
敵だらけだろう。

俺は、「無敵の人」を現在の意味で使い始めた人間に、憤りを感じる。ファッ◯ューな気分。
浅慮だ。


「失笑」「役不足」「破天荒」「壁ドン」。
本来の意味と違った使われ方をする言葉は枚挙にいとまがない。
そもそも、言葉は生き物で。
時代々々に合わせて変化する。
それは分かっていても、多少なりとも言葉を学 んできた人間からすると、憤懣ふんまんやる方ない思いがある。

「あんまり人に期待しない方がいいと思いますよ」
後輩の女の子に言われた。

"人に期待しない"。
それは、自分がしてこなかった生き方だ。
他人に対して、興味津々で。
その人のことを深く知りたいと思う。

世界中の人々と友達にはなれなくても、ハグができるくらいの関係性にはなれると思っている。

ハグ程度には、相手に愛され、そして相手を愛することができる。
「この人と、ちゃんと話をすれば。きっと俺のことを好きになってくれる」。

そう、思ってしまう。
そんな自分が好きで。
この考えに至ったのは、これまでの環境のおかげなので。
優しい言葉をかけて、俺を受け入れて、褒めてくれた家族や友人に感謝したい。

俺は誰とでもハグができるくらいには、人に対して愛を持てる。

「好意」に敏感で。
「好き」と言われたら、その人のことを好きになってたし、男女問わず好意を感じると、くびったけ。
ただ、「好意」に貪欲であるとも思う。


こんな人間なので、「嫌われる」ということが一番怖い。
最近それが、仕事に支障をきたしていると感じる。
「嫌われるかもしれない」と思って自分の意見が言えなかったり。
これは自分本位の考えだ。良くはない。

これを読んでくれたあなたと。
いつかハグができたらいいな。
これからも「無敵の人」を目指して。

と、言っても。
人に対して負の念は抱くし。
見下すし、馬鹿にするし、嘲笑うし。引くし。

このまえ先輩に、
「宮崎くんって本当に、一途なの?
それとも裏ではめちゃくちゃ人のこと嫌ってるの?」
と、聞かれた。
分からなかった。
半々だと思う。

でも結局は。
愛なんですわな。

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