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真夏の護摩法要 高幡不動尊

真夏の頃だと言うのに、29℃の正午過ぎ。

過ごし易い陽気に誘われ、川崎街道を西に自転車で下る。

日野の高幡不動尊をぶらり参詣。
創立は平安初期。成田山新勝寺と並ぶ、関東三大不動尊の一つだ。

境内を参詣し終えた頃、丁度「護摩法要」の始まりを拡声器が告げる。

こちらサンダル・Tシャツ・短パン姿。

一瞬躊躇うが、十四世紀建造の不動堂の風格と、お堂のオープンスペースを吹き抜ける涼やかな風に誘われるまま、お堂の中へ。

お堂に座した40名ほどの参詣者の六割強は、意外にも30から40代。子連れや若い女性のひとり姿も見受けられる。そういう時代なのだろうか?

護摩とは、サンスクリット語の焚くと言う意味の ‘’HOMA‘’ が語源であり、仏の智慧の火を以て煩悩を焼き尽くすのだと言う。元はバラモン教の儀式。グローバルなのである。
 
護摩法要は真言密教の神秘的な儀式である。

中世のお堂の中で、多種多様な法具の醸す神秘性、掻き鳴らす金剛鈴の響き、老若の僧侶の読経、境内の蝉の聲が重なり、護摩は佳境を迎える。

法主が護摩を焚き、不可思議な手の動作をしたかと思うと、祈祷と共にお札を翳し、焔はここぞとばかりに勢いよく燃え上がる。あわや重要文化財の天井に燃え移るのではと心配するほどに立ち上った。

30分ばかりの時間ではあったが、俗世にどっぷり浸かったここ最近であったためか、真言密教の儀式を通じて、中世にタイムスリップしたようでもあり、汚れた心がちょっぴり洗われ、鎮められたような気がした。

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