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答志島そぞろ歩き

梅雨晴間の土曜日。昼時も間近だ。
小中の同級生仲間で、鳥羽の港から連絡船に乗り沖合の答志島に渡る。

神主のイタルちゃんの発案に従うままに来たが伊賀上野という盆地山国出身のぼくらは島に渡るというだけでなんだかソワソワしている。

来年近くの賢島で先進国サミットが行われる。
しかし連絡船に乗り込むとそんなことは露知らずといった趣で、鳥羽の街で朝の病院巡りを終えた島の老人たちが互いに病状自慢をしあっている。観光客はほとんどいない。

船足は思いのほか速い。
甲板の上に出ると6月の末とは思えぬ涼やかな潮風が頬を撫でる。

船の帆先のその向こうに神島が見える。三島由紀夫の潮騒の舞台だ。小学生の頃に観た山口百恵と三浦友和の映画のシーンが脳裏に甦る。

20分足らずで和具の小さな港に着く。いっそう緩慢で静かな時が流れていることにすぐに気づかされる。

島には信号がない。バイクが人々の足のようだが、ヘルメットを被っている人がいない。郵便屋さんまでもがそうだ。警察官のシンちゃんが困惑しているのが何故か可笑しい。ここには交番もないのだ。

予約していた寿司屋の暖簾が見えてくる。電話で何度か話した女将がまだかしらと心配そうに暖簾をかきわけこちらをうかがっていたようだったが、ぼくらに気付いてきびすを返す。店内の店主に告げているのか。

初めての法螺貝の刺身に驚いていると店主が水槽から大きな笊に移したうたせ海老を素手でつかんで法螺貝の皿に無造作に置いた。

海老はピクピクと跳ねて皿の外に飛び出す。活け海老襲来に女子は大騒ぎになる。この歳になっても女子は女子なのだ。イタルちゃんは生きてるのは小学生時代のザリガニ以来やと言って喜々として海老の殻を剥いていた。

昼食を終えて島内を散策する。
島の緩やかな斜面にへばり付くように密集した民家のこの地で世古と言う裏路地の空気が心地好い。

ここでかくれんぼしているうちにいつしかタイムスリップをして軒先の角からのぞかせたみんなの顔が小学生時代のそれに戻っているような、そんな白昼夢のような錯覚に襲われる。

和具の港からそぞろ歩きで隣の集落、答志の港にたどり着く。

見上げれば波止場に鯉のぼりがたなびいている。聞けばこの一年で生まれた男の子の旧暦の節句を祝い鯉のぼりを下ろしてこれから親戚が集まって宴会だそうだ。

そういえばぼくらもそろそろ孫を迎える歳に差し掛かりつつある。島を離れる連絡船から港の下ろされる鯉のぼりを眺めながらそんなことを思っていた。

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