若き日の京都人明治天皇と聖蹟桜ケ丘
「春深き山の林にきこゆなり今日を待ちけむ鴬の声」 明治天皇(1884年、明治17年)
聖蹟桜ヶ丘に住んではや四半世紀をゆうに過ぎた。
「おしゃれな駅名ですね!」と何度か言われたことがあるが、聖蹟桜ヶ丘は郊外住宅地開発のブランディング的な駅の命名ではないようだ。
駅が関戸駅として開設されたのは1925年(大正14年)。聖蹟桜ヶ丘に改名されたのは、1937年(昭和12年)。
その7年前の昭和5年にできたのが聖蹟記念館だ。京都出身の若き明治天皇が故郷の山水明媚を懐かしみ、多摩丘陵、現在の多摩市連光寺付近に兎狩りや鮎釣りに4回訪れている。それを顕彰して建立されたのが聖蹟記念館だ。冒頭の歌はその付近で詠まれている。
京都、奈良、滋賀に隣接する山国伊賀育ちのボクにも明治天皇の気持ちがわかる気がする。関東平野は広すぎるのだ。
小高い多摩丘陵の頂上部に今も聖蹟記念館はあり、中では明治天皇の騎馬等身像が堂々と出迎えてくれる。周囲をぐるりと取り囲むのは見事なソメイヨシノだ。
聖蹟桜ヶ丘の駅名はこの聖蹟記念館が由縁だ。駅前の丘陵にある京王桜ヶ丘住宅地を勘違いする人が多いが、あれは1970年代の開発なので後付けでしかない。
丘陵の頂上にある聖蹟記念館の桜も今年はもう終わってしまったが、記念館を取り囲む都立桜ヶ丘公園の多摩丘陵の中ではまだまだ無数の花や草木が春よ春よと咲き誇り芽吹く季節はこれからだ。
http://www.city.tama.lg.jp/bunka/46/015120.html
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?