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【ルリドラゴン】前田さんという激ヤバ女子高生【14話感想】



前置き


 ルリドラゴン最新14話、”前田さん”について考えてみた。
 ここ数話、主人公と対立する形になっているキャラクターである。
 コメント欄でも賛否両論のキャラだ。擁護の声も批判の声も多く、あの小さなコメント欄で何かを語るには不十分だと思ったのでメモにまとめた。
 気付いたら7500字を超えてたのでnoteで公開するかという運びになった。

 結論としては「前田さんは悪いやつではない」です。

 大前提として、前田さんのスタンスはかなり特殊。しかも複数の点に於いて。
 そこを紐解かないことには彼女とルリのやりとりがなんだったのかは分からない気がするので。
(※以下、前田さんへの理解を深めるための解釈です。モヤってる人にこそ読んで欲しい)

【スタンス①──嫌われることに無頓着】

 彼女は周囲に対してうっすらと気に食わないこと・思うことがある。そこでうっすらと周囲と距離を置くわけだが、その距離の置き方は攻撃による他者の排除ではなく、自らが退くことで達成している。
 要するに「嫌い! どっかいけ!」ではなく「受け入れられないのでこの場から去るわ」なのだ
 しかし特殊なのはそこだけではない。
 積極的に他者を傷つけるコミュニケーションを取るつもりはない一方で、間接的に他者が傷つくことにも頓着しない。自分からルリを攻撃することはないけれど、自分の態度がルリの心を引っ掻こうともあまり気にしないのだ。
 つまり、自分の態度で相手が不快になることについてはどちらでもよいと思っているのだ。
 ひいては、自分が嫌われることに対してもあまり頓着していないことがこれまでの態度から伺える。
 これはあまり一般的じゃない。
 ざっくりみても、世の中には他人に嫌われたくないと思っている人の方が多いだろう。
 だが前田さんは違う。
 嫌われることに無頓着なのだ。
(少なくともここまで描かれている範囲では)嫌われるということに対して恐れが見えなさすぎる。ルリにそうするように他の嫌いな人に接していたとしたらトラブルに巻き込まれることも多いだろう。しかし彼女はそのスタンスを貫いている。すさまじい人だ。
 どちらかというと彼女は”衝突”そのものを忌避している傾向にある。
 嫌いな相手であるルリとぶつかって倒すのではなく、言葉を交わさずに自ら居なくなることを選ぶことからもそれは見て取れる(そのわりに「自分の態度が衝突を生むかもしれない」と考えて上手いこと立ち回ろうとはしないのが彼女らしいとも言える)。
 とにかく、彼女は嫌われることを受け入れている。嫌っている相手に嫌われても平気と言わんばかりの態度だ。どんな胆力だ? 激ヤバ女子高生である。
 これを悪と断ずるのは容易だが、必ずしもそうとは思わない。
 確かに冷たいと思える一面もあるかもしれないが、合わないと感じた相手と必ず衝突を経て和解しなければいけない社会を想像して欲しい。こんなに疲れることはない。
 では彼女に非はないのか?
 そう問われればそんなこともない。
 前田さんは嫌いの感情がめっちゃ顔に出る、この点については受け入れがたい人が多いだろう。
 彼女が積極的に他者を攻撃しているわけではないのは「嘘ではないけど悪意で言ったワケじゃないの。ごめんね」と謝罪していることからも分かる。しかし上で書いたように、間接的に他者が傷つくことには無頓着なのだ。
 つまり彼女にとって嫌な顔を浮かべるという行為に攻撃の『意図』はないが、それは周囲にとっては充分に『攻撃性』があるのだ。
 そんな顔されたら誰だって嫌な気持ちになるでしょ、って感じである。
 しかし彼女は別にその影響を気にしない。
 なぜなら嫌われることに頓着していないから。
 自分の態度が他者に取って傷つくものであろうと、それによって自身が嫌われようとどっちでもいいのだ。
 一見ワガママな態度に見えるが、そうとも言えない。

 それが二つ目のスタンスに繋がる。

【スタンス②──よそはよそ、うちはうち】

 思うに、彼女は公平なのだ。
「自分が相手を嫌うこと」と「相手が自分を嫌うこと」とは等しく自由に担保されるべきだと思っている、ように見える。
 他者を嫌うという点に対して、自分と相手とが公平で対称性がある
 シンゴジラの言葉を借りるなら「私は好きにした。君らも好きにしろ」である。
 これはドライな言葉だとも言えるし、公平な言葉とも言える。
 前田さんはおそらく「私は他人を嫌いになるけれどみんなは私を嫌いにならないでね」とは言わない。言いそうにない。そんなことを言うのは嫌われているのを恐れている人間だけだ。
 ここに前田さんなりの信条を計り知ることができる。
 すなわち「自分と他人は違う」というものだ。
 平たく言えば「よそはよそ、うちはうち」というアレである。
「自分は自分、他人は他人」なのだ。
 自分には自由があるし、同時に他者にも自由がある。それだけのシンプルな話だ。
 本質的には、憲法で担保されている「内心の自由」と同じだ。
 大人であっても自分と他人は違うということは時に忘れがちで、たとえば自分の意見が他人を変えられると思ってしまうこともその一つだ。
 生まれも育ちも性格も違う人間の意思を他人が左右できると考えるのは、ある種の傲慢さだろう。
 その点を踏まえれば、前田さんが他者と衝突したがらないことにも納得がいく。
 彼女は、衝突が起きたとき自分の内面を変えようとしてこられるのが嫌なのではなかろうか?
 前述のとおり、口論になった際に相手を説き伏せようとする人は多い。耳の痛い話だ。
 彼女にとってはそれが煩わしく感じられるのではないだろうか。
 だとすれば、嫌われることに無頓着なことにも納得がいく。そしてその公平性にも納得がいく。
 前田さんはルリを変えようとはしていないのだ。
 どちらかといえばルリの方が前田さんを変えさせたフシまである。言葉で伝えたくないという前田さんに、口にすることを要求したのはルリだ。どちらが他者を変えようとしたかは一目瞭然だ。
 当然、ルリの行動にも共感できる。そこまで関わりなかった人に嫌われてたら「なに!? 私なにかした!?」と思ってしまうのも無理はない。直接問いかけるのはわりとアクティブだなとは思うが、気持ちは分からなくもない。モヤモヤとした状況を解消したいのだ。
 そのルリにしたって「私を嫌わないで!」とは別に言っていないので、「よそはよそ、うちはうち」は作者の根底にあるものなのかもしれない。
 この点に於いては前田さんは他者の存在には寛容であるとさえ言える。好き嫌いは個々人の内心の自由で担保されるが、別に存在してはいけないと思っているわけではなく、合わないと思ったら自分が去る。そんなスタンスを認められないというのは、その方がよほど他者に干渉的で、自らと違う人間へ不寛容なのではなかろうか?

 そして彼女のそんな公平性にも通じるものが彼女のスタンス三つ目だ。

【スタンス③──問題の切り分け】

 恐るべきことに前田さんは嫌っているはずのルリから話しかけられてもルリと対話を行う。
 委員としての仕事の話は普通にする。嫌いなので会話もしたくない、となってもおかしくないのに彼女はそうしない。
 ルリのパーソナリティーと自分たちの役割とを切り分けて考えているのだ。
 前田さんの中では「ルリが嫌い」と、それはそれとして「委員としての務めは果たす」が両立している
 仕事なら分かるけれど、お金ももらってないのに凄すぎるってこの女子高生。激ヤバ女子高生である。
 それだけじゃない、彼女の本領が発揮されるのはそのあとだ。
 彼女はルリへ謝るのだ。嫌いだと明言してルリを傷つけたことに対して謝罪を入れるのだ。
 ルリにとってはそれが理解できなくて「あやまられてしまった…」「わたしはどうすれば」と困惑する。そしてそれが14話へのぶつかりあいに発展していくのだ。
 ここが一般的じゃなさすぎる。
 多くの読者がここでルリと同じく「……?」となったに違いない。
「この前田さんってひとはルリのことが嫌いじゃなかったの? けっきょく好きってこと?」と。
 しかし二元論で考えてしまってはドツボにハマるのだ。
 ここまでの流れを考えれば不思議なことはない。
 前田さんにとっては攻撃をすることは本意ではないのだ。彼女は衝突を避け、攻撃の『意図』はない。だが、それが周囲にとって『攻撃』足り得ることもある、ということをここで彼女は自覚している。
 だから謝ったのだ。
「あなたを嫌ってはいるが、あなたを傷つけるつもりはなかった」と言っているのである。
 ムズすぎる。この女子高生、ムズすぎる。
 だが、前項と併せればこれも簡単に説明がつく。
 つまり前田さんは「内心の自由」は保障されるべきだと思ってはいるが、他者を傷つけることは明らかに「内心の自由」を超えていると考えているのだ。自分が嫌うのは勝手だが、それで相手を傷つけること自体は本意ではない。
 そう考えればルリに要求されるまで「嫌い」を口にしなかったことにも納得がいく。
 彼女にとっては口にしてしまったら「内心の自由」を超えてしまうと判っていたのだ。
 だから「ルリが嫌い」と「ルリを傷つけたくはなかった」が両立し得る
 この二つの問題を切り分けて謝罪ができるのが前田さんなのだ。すごすぎるて。

 そして彼女のその性質はスタンスの四つ目に通じる。

【スタンス④──偏見の自覚】

「ルリが嫌い」と「ルリと委員としての話し合いをする」
「ルリが嫌い」と「ルリを傷つけるのは本意ではない」
 これらのように、前田さんは感情と理屈を切り離したうえで内心で同居させている恐るべき女子高生なのだが、もっとも恐ろしいのは自身の偏見に自覚的なことではなかろうか。
 分かりやすい例を挙げる。
 前田さんは、神代さんに対しても「嫌い」「(良い人だってのは)フリだよ。猫被ってんの。気味悪い。裏では何を考えてるか分からない」と評す。が、評したあとで「良い人は良い人」だとも評している。
「前田さんもいいとこあんじゃん♪」と見るのは若干、解釈が足りない気がしていろいろ考えてみた。
 じつは保身で付け足した説。なさそう。他者にも自分を嫌う自由があると思っている彼女には必要のない行為だ。
 じつはツンデレ説。まあ、そんなわけはないだろう。
 じゃあなんだよ、複雑だな。
 そう思ったが、2つの思惑が重なっているのではないかと推測できた。
自分の感想ではなく世間の評価を述べた」かつ、「”良い”と”好き”とを切り分けている」というものだ。
 これは前項のスタンスを考えれば自然だ。
 まず前者。
 問題の切り分けができる彼女であれば当然、自分の感想と世間の印象とが違うことに気付くはずだ。
「よそはよそ、うちはうち」なのだから。
 だからこそ彼女は自分の内心、つまり主観というのは自分のものに過ぎないと知っている。ゆえに、自身の主観をペラペラと語ったあとに、補足を入れられる。
「自分はこう思っているが、客観的に見ればこうでしょうね」と言っているのだ。
 ここでそれを付け足した意図としては、踏み込んできたルリに対してこの言葉を付け加えなければ、ルリを傷つけたときの二の舞になると思ったからではないかと思う。自分の意見だけを言って相手を傷つけるに至った。けれど自分の内心を撤回するつもりはない。であればせめて補足を入れるしかあるまい、ということだ。
 ここまでが前者。
 続いて後者。
 つまり、問題切り分けの鬼こと前田さんにしてみれば、「神代さんを良い人だと思うこと」と「神代さんに好感を持つこと」は別なのではないかということだ。
 んなバカなと思うかもしれないが、そういうことも前田さんの脳内ではありえる。
 彼女の言っていることを順番を入れ替えて超意訳すれば「神代は良い人だとは思うが、それゆえに裏では何を考えているか分かったものじゃないと思えてしまうので好きになれない」ということである。
 だいぶ偏見が酷い。
 が、屈託のない”良い人”を信じきれない人というのはいる。前田さんがそうかは知らないが、この世界の法則に「良い人は必ず好きにならなければいけない」と記されているわけでもない。ヒネくれた捉え方をする人がいたって不思議ではない。そんな人もいる。そんな日もある。
 以上を踏まえたうえで、やはり前田さんが神代さんを「良い人だ」と言えるのがすごすぎる。
 自分の言っていることが主観(つまりは客観性のないもの≒偏見)に過ぎないことに自覚的なのだ。
 自分の言うことが偏見であることに自覚的な女子高生、すごすぎる。激ヤバ女子高生である。
 ある種の自己批判が為されていなければ到達できない域だ。
 そう考えれば納得がいくことがある。
 ルリに言葉にしてと要求されたときに渋ったあの態度だ。
 彼女にとって嫌いなところを言う行為というのは言わば「偏見を含む主観の暴露」なのだ。その自覚がある人間に明言を要求するとは(ルリにその意図はないとはいえ)酷なものだ。自分の言っていることが間違っていないと信じられる人間にはツラくはないが、自分の言っていることに多少なりとも偏見を含むと自覚がある人間にとってはツラい(まあ、偏見がない人間なんていないとは思うがそこは自覚の問題である)。
 他にも納得がいく点で言えば、「ルリが嫌い」と「ルリを傷つけるのは本意ではない」とが両立することだ。
 前田さんにとっては嫌いの表明というのは「偏見を含む主観の暴露」であり、「罵倒」ではない。貶したいから悪口を言うのとは本質的に全く違う
 実際彼女は「他には?」と尋ねられて、考え込むそぶりをして「ない」と回答している。
 他者を傷つけようという積極性や暴力性からモノを言うのであればここで撤退する必要がない。いまだ攻め落とせとばかりに口汚くののしるという手もあった。しかし彼女はそうしなかった。それが目的ではないから。
 なのでこの件は彼女にとっては自分の偏見を暴露したトコでおしまい。
 そのあとの「反論はいいの? 一応聞くよ」というセリフについても解釈が分かれるところだ。勝ち誇ったニュアンスで受け取る人がいるのも分かる。
 けれど、違うように思う。
 ルリが「そっか」と淡々と受け止めていて、思ったよりすんなりと自分の偏見を飲み込んだことに頬杖をついて受け止めるコマが描かれている。これは自分が偏見まみれなことを言っていると自覚しているのに、思ったよりもあっさり受け入れられたから、ルリの反応を意外に思っているように見える。
 だから彼女のセリフに注釈をつけると、
(私の言ってることはかなり偏見まみれなんだけど)反論はいいの? 一応聞くよ(それはそれとして私とあなたは違う人間だから、それを聞いたところで私の考えは変わらないと思うけど)
となる。
複雑すぎる。HUNTER×HUNTERのヒソカVSクロロのベストバウトと同じくらい複雑かもしれない。

  • 自分が偏見めいたことを言っている自覚はある

  • 同時に相手にも相手の考えがあることを知っている

  • だから相手の立場からの言葉があるなら聞こうとは思う

  • それはそれとして自分と相手とは違う人間なので聞き入れはしない

 複雑すぎる。だが、至極真っ当でもある。
 なぜなら「相手の意見を聞くこと」と「相手の意見を聞き入れること」とは別なのだ。
「あなたはこう考えているんですね」と「私はあなたの考えに同意します」とは違うといえば分かりやすいだろうか。
 他人の考えを尊重することと、他人の考えを同意することはイコールではない
 こう言い換えてもいい。
 他人の考えに同意していなくとも他人の考えを尊重することができる、と。
 それを「内心の自由」と呼ぶのではないだろうか?
 逆にそれを認めないとなると、ルリが反論した場合、前田さんは全てその反論を飲み込まなくてはいけないということになってしまう。
 それはめちゃくちゃ怖い世界ではなかろうか?

さて、前田さんがただの暴言の鬼ではないと判っていただいたところで最後のスタンスへと繋がる。

【スタンス⑤──フラットな情報収集】

 彼女の公平さは、ルリが「ユカはわたし以外にもたくさん友達いるからわたしと一緒にしないでね」と言ったことに対して「そっか。わかったごめん」と詫びを入れていることからも伺える。
 このシーンが意味するところは、「前田さんは事実を捻じ曲げて認知したいわけじゃない」ということだ。
 彼女の事実の受け取り方は偏見かもしれない。それに対してある種、自覚的ですらある。
 けれどそれは自分の主観を語るために事実を捻じ曲げたいわけではないのだ。
 だから彼女はルリの”反論”には「一応聞くよ」などと全く聞き入れるつもりのない姿勢を見せるが、たんに自分が”見えていなかった(知らなかった)”部分については素直に聞き入れるのだ。
 出来るだけフラットに情報収集をしたうえで、自分が何を思うかを大事にしているのだ。
 自分に有利なものだけをみて自分の主張を通したいわけではない。これも耳が痛い。
 これは14話のラストで、ルリに謝罪を入れていることからも分かる。
 前田さんは再三、ルリへ「他人に無関心」と言ってきたが、これだけぶつかりあったあとには「そんなことなかったかも ごめんね取り消させて」と謝るのだ。なぜならルリが他人に無関心ではないことを身をもって知ったあとだから。彼女のことを知り、少しばかりフラットにものを見れるようになったら、自身の偏見については取り下げることができるのだ。

……まあ、それはそれとして嫌いなのは変わらないというのが彼女の切り分け力の高さに表れているのだが。あとフラットに見ることはできるのに、ユカちゃんの件みたいにちゃんと見るのは得意じゃなかったりするので、そこは普通に嫌われる要素だとは思う。
 コメント欄の怒りも妥当だ。
 実際、前田さんは色々な意味でヤバい女子高生だ
 が、それを「悪」と断じることはできないなと思う。
 好きになれない人がいるのも分かるが、彼女は彼女なりに公平に、自分も他人も尊重する形で物事を考えているように思う。
 だとしたら彼女を深く知ろうとしないうちに彼女を「悪」と断ずるのは、彼女よりもタチの悪い行為に他ならないと思うから。

結論

 前田さんは激ヤバ女子高生である。
 ただし、悪いやつではないらしい。

 本当は14話の二人のぶつかり合いが現代的なコミュニケーションだなあ、などというところも踏まえて書こうとしたが軸がブレるし長くなるのでここで筆をおきます。
 今後のルリドラゴンも楽しみですね。

(※記事内の画像は全て公式のものを引用しております)


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