情けはいったい誰のため?

こんにちは!ゆーきです!
今日は先日JICAの講演会で良い言葉を聞いたのでその話から考えたことを書いていこうと思います。
(決まりでその講演会の内容自体は言えないのです…申し訳ないです)

1.情けは人の為ならず

毎度突然ですが、「情けは人の為ならず」ということわざの意味をご存じですか?
「情けは結局人のためにならないから情けをかけてはいけません」というような意味ではないんですね。
「人に対して情けを掛けておけば、巡り巡って自分に良い報いが返ってくる」という意味なんです。情けは人のためではない=自分のためだよね、みたいなことわざです。
もうだいぶ使い古された話なのでご存じの方が多いとは思います。

内容をものすごく書きたい…書きたいけど書けない…のですが、
先日の講演会で、要は国際協力もそうだよね、というようないい話がありまして、私個人としては少し救われた気になりました。
というのも、私自身そういう風に感じる場面が多々あったのです。

2.「情け」をかけているように見える人は本当に情けをかけているのか?

サッカーのコーチをやっているとよく、「偉いねー」とか「ありがとうございます」みたいなことを言われます。
これ、本当に疑問でした。やりたいからやっているだけなのにな、と。経費0ですし。最高です。
例えば私からしたら、ディズニーランドに行くより楽しいからやっているんです。パチンコやマージャンより楽しいからやっているんですよ。
それで、皆さん「ディズニーランド行って偉いねー」とか、「パチンコマージャンやってくれてありがとうねー」とか、言わないじゃないですか。
たぶんオリエンタルランド、パチンコ屋、雀荘の社員さんくらいじゃないですか、そのセリフを言う可能性があるのは。
なので、言われる度にものすごい違和感を感じつつ、いつしかめんどくさくなって大した説明はしなくなりました。

お酒を飲まないとかもそうです。社会人時代に弁当作って持って行っていたとかもそうです。
大してお酒飲みたくもならないし、そこまで好きでもない。何なら最近飲まなさ過ぎて、ちょっと飲むと二日酔いがひどい。
外食するより弁当のほうが断然安いから外食にそれだけのコストをかける理由が私にはない。
本当に本人からしたらそれだけでしたが、結構偉いとか言われたことあります。
まぁ別に誹謗中傷じゃないので全然いいんですけどね。

3.本音なのに、「偽善」?

以前何かでGACKTさんが東日本大震災の際に義援金を2億円も集めて寄付したら、めちゃくちゃ叩かれた、みたいな話を聞きました。
これなんかめちゃくちゃいい話になっていいですよね。
でも、叩かれてしまった。
こういう風潮は本当に良くないよなぁ…なんて常々思っていました。

でも、「国際協力」なんかも少なからずそんな目を向けられることも多いように感じたことは確かです。
私は幸いなことに有名人ではないので全く叩かれませんでしたが。

何が言いたいのかというと、その人の意志には関係なく、周りの人は見えている行動の範囲内で、言いたいことを言う、ということです。
特にこのネット社会ではSNSを通じてだれでも簡単に発信ができるし、バズったり炎上したりすると、これまた本人の意志とはどんどん離れながら大きく広がっていったりする。
そうすると、特に有名人は閉じたコミュニティー(例えばオンラインサロン)を作って一般向けの発信は止めたり、一般の方ではもう発信自体止めるか…ってなるのは当然の流れのような気がします。

4.幸福の総量は増やせる!

ここで最初に話を戻しますが、「偉いね」や「ありがとう」なら嬉しいじゃないですか?
最初に文句めいた感じで書いたのは申し訳ないですが、素直に「ありがとう」と言われれば嬉しい。
その時に言ったほうも言われたほうも、誰か損をしてますか?
「ありがとう」は、言った人は幸せだから言います。言われる側は言われるまでは幸せじゃないかもしれませんが、言われたらたぶん少しは幸せになると思うんですよね。
そうなると幸せの総量って増えているじゃないですか?
これがすごい最強なんじゃないかと。

昔書いていたブログに、「自分のため、が少しでも他人のためになったら嬉しい。というかそんな風になるような『自分のため』にやりたいことを探したい」というようなことを書いた気がしますが、今でもその想いは変わっていないんだなーということを改めて思いました。

今日の結論は、「私は情けだろうと情けじゃなかろうと、幸せを生み出せるように今日からも行動します!」です!!

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