みそじ
20代最後の夜です。
19から20歳になるときの方がよっぽど感慨深かったのは、さくらももこさんの「二十歳になった日」というエッセイを読んだ影響もあったと思う。安心して居酒屋に行けるようになる安堵もあった。自他ともに認める、紛れもない「大人」という身分のチケットをようやく手に入れた感じもよかった。
それに引き換え、今はというと長引くコ◻︎ナでテンションが低くあることに慣れてしまっている。これはあまりよくないけどどうしようもない。
20代最後の今日の夜は何をしていたかというと、スマホ回線の乗り換え契約をしていた。
最近はオッドタクシーのシーズン1を見ていて、最終回直前でいったん止め、1話から2周目を見ている。
PUNPEEはもう有名人。好きになった人はみんな有名になっていく。私よりもその人を好きな人たちが増えると「もう私が好きじゃなくてもいいのか」と寂しくなってひっそり熱が引いていってしまうのが悲しい。いつもそうだ。
金カムのおがたへの愛も去年より落ち着いた。私は愛の見返りがほしい人間。
本当は誰よりも愛を求めているタイプ2。
「自分が思っているより人間関係も実はそんなにうまくいってないことに気がついた」というタイプ2の人のコメントを読んで笑ってしまった。それを読んでとても楽になった。私も自分が思ってるよりそんなに人間関係うまくいってないなと気づいてなぜか楽になった。
さて30歳ごろになると、脳の回路と回路がつながって、「たとえ話がうまくなったりする」という話を耳にしてずっと信じて楽しみにしてきた。それはすでに実感する瞬間もある。でも私はそのへんもっともっとポテンシャルがあると思う。あんまり生かしきれてないような。
なんでもないことをつらつら書きましたが、一番思うことは、「まだ30か」「若ぇ」「若すぎる」「もっと長く生きてるはずだ」です。私もっと長く生きてるはず。大学生のときから「もう少なくとも30年は生きてる気がする」と言っていた。
長く続くコ◻︎ナ下、必死で生きている私たちはみんなえらい。こんなご時世、つらいに決まってる。そんな中を生きている。えらすぎる。それだけで今は十分だ。
最後にもうひとつだけ書いておきたい。貯金額が増えたら嬉しいはずなのに、なかったらないで「ないや!ハハッ」って開き直れるところを、なまじっか増えてくると減るのが怖くなるのはどうして。持っていると失うことが不安になるのはどうして。持っていない不安の方が、よほど不安っぽいのにどうして。
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