明日や未来に期待感をもつこと

私はこれまで、「幸せ」であることと、「明日や未来に期待感をもつこと」を一緒に考えてしまっていた。

まず「幸せ」は満たされた状態であること、そしてそれは満腹だった人もそのうちまたお腹が空いてしまうように、一時的なもの。
(雲の上がいつも晴れているように、天上の幸福をもった人間がいるのであれば、ここでいう話とは別。本当にそんな人がいるのかどうか、私にはまだわからない)

だから私はそんな一過性の「幸せ」を目指して生きることが苦しくなり、大切な存在を守れるかっこいい人間になることを目指すことにした。

だけど、そうやって掲げた大義も、やはり「幸せ」の養分が必要だ。「幸せ」を目指して生きるのをやめたとしても、ある程度の幸せは、それこそ腹を満たすように必要なのだ。

私は今、全然満たされていない。
守られているとは思う。十分に持っているとも思う。
だけど、心は満ちていない。仕方ない。
仕方ないことはわかっていても。
だから今は何も渡せない。無理してあげたら自分が減ってしまうのがわかる。結局2年も我慢したのにまだ見通せない未来に、ギリギリになっている。

たとえ限定的であっても、基本的に人に大事に接してきたつもりだ。だけどそうも言っていられない。同じように接することを諦めないと私が苦しい。

初めの話に戻ります。
「幸せ」と「明日や未来に期待感をもつこと」をセットで考えてしまっていたという話。

前提の現状が「幸せ」でなくても、「明日や未来への期待感」はつくれるんだった。
ただもちろん、ある程度満たされた状態じゃないと「期待感をもつこと」は難しい。だからつい一緒に考えてしまう。

そして逆に言うと、ある程度満たされた人であっても、「明日や未来への期待感」ももっているとは限らないということ。

まずはこの2つを分けて考えておくこと、それだけでも自分の中で少し違ってくるかもしれないと思いました。


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