価値をつけるもの

noteで初めて有料記事を買った。100円。元々は無料で読めたものだったらしい。でも無料だったら、さくっと読み流していたと思う。100円でも、無料だったものを有料にするくらい、その文に価値がついたんだ、と思った。値段がついているから、買うという行為を「選択」する必要がある。自分で選択したものを人は大事にする。

本を買うのも、「その本に興味を持ち、手に取り、開いて試し読みして、レジまで持っていって、身銭を切ってお金を払い、持って帰る」という一連の行動と考えると、すごく能動的だ。
もし一ページも読まなかったとしても、そのテーマや何かに「惹かれた」という意識が、「お金を払う」という行為を通して自分に印象づけられる。いつかまた同じようなものに触れたときにそのセンサーが勝手に反応して、情報を収集する。

話は違うが、苦手な女の先輩を意識しすぎて、逆に恋しているのかと思うくらい一挙手一投足を気にしてしまっていたことがある。感情は全然そうじゃないのに、「私はこんなにこの人のことを気にするほど、この人が大事なんだ」と脳が錯覚していた。
つまり脳は、自分の行動を信じる。

脳が先にあるんじゃなく、行動が先にある。

興味をもって、不思議と好きになって、そこまではきっかけの力。
あとは、大事にすれば大事になっていく。

私は本が好きで、本が好きな人たちと一緒にいたくて、本に関わる仕事がしたい。
だから今はきっと幸せ。
だけど好きなこと、得意なことで、お金をもらわなくちゃいけない。お金という客観的な価値をつけてもらわなくちゃいけない。

私は何をやろう。
そう思って3ヶ月経った。
ほんとにわたしは、考えていることが好きだな。
↑これは自虐的な意味だけど、
それでもやっぱりいろいろ考えるのが好きなんだな。
とりあえず「やる」とか、そういう意気込みもたまにあるけど、
私の基本はそこじゃないのかもしれない。
フットワークが重いと思われようが、意思が弱いと思われようが、甘いと思われようが、ああ、いくらでも批判はあるが、生き急いだって仕方ない。
急いで焦るから、脳が年齢を気にするんだ。
じゃあ焦りません。

最後に、この文体はえり子noteを勝手に踏襲しました。ものすごく、思ったことが書きやすい。ありがとう。

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