人生は区切ることができない

「あのときのあの苦しみが、ここにつながったか」
と、感じたことがある人は多いと思う。

とはいえ、やはり目の前に迫る苦しみを感知できたなら、避けたいと思うのが本能だと思う。

過去に戻ってわざわざ、やり直したいと思うわけでもないけど、あんな経験しなくてもよかったよな…とか、あのときこう感じたんだからやめておけばよかったな…とか、ついつい思ってしまう。

だが、「避けられた不幸」と思うのはつらい。
頭のどこかで、なんとなく分かってはいたのに、それをなぞるように人生が進んでしまうこともある。
「ある」どころか、思っている以上に多いはず。

でも、似たように感じたときだって、読みが外れて、全然大丈夫だったということもある。
勘や思考や経験がまったくあてにならないこともある。
そういうことは、意外と忘れやすい。

だから結局、未来を予知することはできない。
予測することはできても。
この時代でも、天気予報だって外れるのだから。

各人、「避けられない不幸」はある。

縁や目に見えない力に引っ張られることがある。

人生は区切ることができない。

なにが幸か不幸かは、本当には分からない。

宗教的な「祈り」でなくても、
祈るように行動を積み重ねる。
明日がよりよくなるように、服を買う。
少しでも嬉しい気持ちになるために、ご飯を選ぶ。
あったかい関係を築けるように、言葉を使う。

その先にあることは、受け取るしかない。
いいことか悪いことかはわからない。

今悪いと感じていることが、いいことに転ずる瞬間が来たら。

出来事を区切ることはできない。
車輪はくるくると回っていく。


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