言わない選択肢

どうしてこうも、
ひとつひとつしか、一段一段しか
上らせてもらえないのかと
嘆くこともあったけど

まだこれを言っても仕方ない、みたいなことは
確かにある

赤ちゃんが、生まれていきなり立つことはないように
見守る大人たちを見上げて、なぜ自分だけ立っていないのかと
思っていても、思っていなくても、どちらにしても
段階を経て、時が来れば
その日は来る

物事には段階がある

人には人の道のりがあって
すべての構成要素を
ひとつずつ分けて、比べることはできない

無数の要素と、組み合わせをもって
ひとりの人がいるのだから
その一部を比較したとして、気が遠くなるほど
虚しいことだ

でも、それを人はやっている
人と自分を比べて、すぐに苦しくなる

それも必要な段階だから?

なぜ苦しむ必要があるのかと、思うけれど
少なくともこの世には、まだ苦しみは多くて

同じ苦しみを持った人にしか、
言えない言葉は確かにあり

同じ苦しみを持った人だけが、
言わない選択肢を持てることもある

何を言うかより、誰が言うかだが
「何を言わないか」は気付かれにくい

気付かれにくいことは、尊重もされにくい
だけどそれだけに、尊いことでもある

言わない言葉を持っている人
社会でそれが、評価されるような
成熟した世界に、なる日が来るのか分からないけど…

気付いてほしい
気付いてほしいと思っている
みんな、自分のことを
 

 

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