はなれてくらす

父「やっぱり◯◯(私)の声があると、うちって感じがするなぁ」

(;_;)

母さんはやっぱり、私が新居の長所を言うと、無理やりわるい風に変換しようとする。
私「空がすごく広くて。部屋からすっごい朝焼けが見えるの」
母「へえ…。田舎だねぇ〜」
みたいな。
(父はもちろん「おお…それはいいねえ」と言った)

これも前だったら、受け止め方は違った。
だけど今は、
「自分から離れて、新しいところの方がいいって思われたくない」んだろうな〜ということが、主観よりもちょっと遠いところでわかる。

今までもそういうことは頭のすみでわかっていたけど、理解よりも感情がずっと先に出ていた。
この小さな違いが、本当に大きいことだ。

主観は、主観だからこそ課題になりうるのだと思う。
第三者の目線で考えれば簡単に考えられることでも、自分のことだとなぜかうまくいかないのは、その主観を生きることこそ人生だから。

私は、主観で、母とのことを戦ってきたから、
「もう戦わなくていいよ」と
言われている気がする。
同じ都内で、母から離れて暮らすことそのものが、
もう母を十分に傷つけ、寂しがらせている。
だからなにかを言われても、必要以上に責めたりする気にももうならない。
母の心は子ども。子どもなのに、母も一人暮らしをして、わからないなりに生活と人間関係を学んで生きてきたんだろう。そしてはじめに覚えたことを、ずっと覚えていて、それを守って過ごしている。
母に変われなんて言えない。望むべきことは違う。母は母として少しでも生きやすいように生きてほしい。

私は自分のために、自分が少しでも生きやすく、安心して生きられるような環境を求める。
自分が自分に願うのはそこで、人に対して願うのもそこだ。
「家族」は遠くなり、友達みたいになった。
いつも友達のことを思うみたいに、3人のことを思えばいいと思ったら簡単だ。
友達が3人増えた。心強いじゃないか。

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