生きるエネルギー

私はそもそも目も当てられないほど絵が下手なのに、ゴールデンカムイの尾形を描くためにわざわざ文房具屋へボールペンと自由帳を買いに行き、次の日も方眼紙のノートを追加で買いに行き、さらにきのうは漫画用のペン先とインクまで買いに行ったのがここ3日間の話。夜に数時間ぶっ続けで尾形を描いている。

ゴールデンカムイを読んだり、人が描いた尾形の絵を見たりしていると本当に時間を忘れてしまうのを感じていたが、自分が描いている間もそうなるとは思っていなかった。

うまくはないが、元が下手すぎる分だけ、少しずつ上達してる感じはわかる。絵が少しずつ尾形に近づいてくる。
大人になると日常に、少しずつ上達することって少なくなってくるからな。でもやってみれば、子どもの頃よりも全般のことが器用になっているので、何かをできるようになるスピードは案外早くなっているものだ。

もちろん絵の技術がないので再現はできないが、尾形がどんなときにどんな表情で、どんなことを言うのか、脳内ではかなり正確にわかる感覚がしてくる。
たぶん、クレヨンしんちゃんやドラえもんが、意志を持った生きたキャラクターとして立ち、原作者の手を離れても本人が本人らしく動くという、そんな感じだと思う。

思い出してみると、私は絵がうまくない自覚が幼稚園の頃からある。だから、思ったことや感じたことを絵や美術的なもので表現することはあまりしてこなかった。
だけど、中学校の頃、サッカー部の男の子に恋をしていて、ノートにいつもadidasのロゴ(3つの四角が並んでる方のやつ)を練習して描いていた。あれってシンプルなように見えて角度とか長さとか地味にめちゃくちゃ難しかった。なのでずっと練習しながら描いてた。
尾形を描き始めた初日、そのことを思い出した。そういえばサッカーボールを描くのもそのとき練習したな。
前にも一度マロの絵を描いたときに思ったけど、好きの気持ちを込められるもの以外は描けないなと思う。


話はずれますが、以前に読みかけたまま最後まで読めていなかった、「きまぐれ星のメモ」という本がある。SFショートショートで有名な星新一の、エッセイ集だ。
私は小学生ぐらいの頃から、母によく星新一の本を買ってもらっていて、15冊くらいをローテしながら何度も読んでいた。
大学受験のとき、安かろう悪かろうのひどい塾に入ってしまったことがあり、そこの塾長に「星新一が好きだ」と言ったら笑われたことがある。今でも頭にくるし絶対に許さぬ。たしかに「読書好き」と言って一番に出てきた作家が星新一と言われたら、拍子抜けする感じも百歩譲ってわからなくもない。だが私は、「ショートショートは読みやすいから読書のきっかけに」とかでなく、「星新一」が好きだったのだ。このことには今でも胸を張りたい。

以前読みきれなかったけど最近になってこの「きまぐれ星のメモ」を思い出し、また読みたいなと思って最近買い直した。飛び飛びで読むがやっぱりめちゃくちゃ面白い。
そして意外なことが発覚する。星新一は兵役を免れるために、子どもの頃から近視を自ら進めるように意識して生活していたらしい。しかしそんな発想がバレたら大変な時代なので、自分だけの秘密にして。そして、さらに計画を巧妙にするためカモフラージュで射撃部に入り、銃の訓練をやっていたという。結局、その後戦況が悪化して試験の基準が下がったため、あっけなくクリアしてしまい、そうこうしているうちに終戦を迎えたそうだ。計画はすべて徒労に終わったが、おかげで縁日の射的など、止まっている標的には百発百中になり、銃を構える姿も様になる、ということが書かれている。格好いい。星新一のその姿すら、尾形が銃を構える姿を重ねればありありと想像がつく。

好きな人やモノや感覚が、どんどんつながって線になる。これも縁と呼ぶのだろう。noteに書きたいことも増えてくる。失っていたエネルギーを徐々に取り戻していく。

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