自分は1%も「自分」という要素ではできていない

人生は
あっちを立てればこっちが立たず

持たざる者は、失う恐怖がない
ただ、その身軽さは孤独を伴い、
存在の軽さでもある
また、自由なようでいて、持っていないことが不自由感につながることも多い

持つ者は、維持に労力がかかる
また失う恐怖を持ち、不自由さもあるが
自分の居る意味や、必要とされる実感が得られる
ただ、その責任や重圧が上回る場合もある

どちらがいいというわけではない

ただ、自分やその周りが気分よくいられる時間
それが少しでも長ければ長いほどいい

未来のことを不安に思うのをやめて
過去を苦しく思い出すことなく
今を、踊るように生きられたら

簡単なことのようなのに
それがどうして難しい


自分をつくっている成分のことを考える

水も、タンパク質も、脂肪も何もかも
自分でゼロからつくったわけではなく
要素の寄せ集めである

だから…
「自分」は、自分という要素ではできていない
まったく、1%も、自分でできていないのだ

まったく少しも自分でできていないものを
コントロールなどできるはずもない
少しずつ知ることは、できても

寄せ集めた要素ひとつひとつから
ヒントを得て、知るくらいしかできず
よくて、その活かし方を知れたらいい方で

会社の社長が、社員に指示を出すことはできても
エスパーのように心を見通すことなどできず
まして、部下を精巧なロボットのように思い通り動かすことなどできないように

自分という組織をつくっているのは
自分以外の存在たちなのだ
目に見えたり、見えなかったりする要素の
寄せ集めを、便宜的に「自分」と呼んでいるだけだ

方向性をとって、舵をとることはできても
波までコントロールすることはできないように
大ざっぱに、かつ精密な秩序に
流されていく

そして、「自分」が少しも自分という要素でできていないのは
この世のすべての人、生物に言えること
親も、子どもも、動物も虫もどんな生き物も
誰ひとりとして、自分を思い通りにコントロールすることなどできない

恐ろしいことは、私を含め、それをほとんどの人間が知らぬまま、
社会が回っているということだ

「自分」という社長のために社員を使うな
社員を伸び伸びと生かすにはどうしたらいいか
行動を押しつけるな
ルールでしばるな
それはもったいないこと

じゃあ逆に何をすればいいのか?
それは、褒めて、認めて、励ますこと

自分がプレイヤーとして「頑張る」のではなく
可能性を信じ、任せること
信頼して、預けること

あとはもう勝手に動き出す
生き生きと
そのサイクルは幸せな循環を生む

あとはニコニコと機嫌よくしていればいい
私はすべて分かっている、という顔で


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