個であり、全体

今日はマロの命日。
一年の長さが、長いのか短いのかもうわからない。
「もうここにいないこと」が寂しくて
でもそれに対して、寂しさをまぎらわす、というのもそぐわなくて
ただそこに寂しさがあるのを見ているしかない

人生は「するかしないか」だ、なんて
もっともらしい言葉があったけど
そんな単純なはずあるもんか
たったひとつのことだって
ままならない日常の中で

今日はどうしてもアレが食べたい
という日に限って売り切れていたり
やってきた仕事からいざ手が離れたら
新しいやり方に新人のように戸惑ったり

私たちは いきているひかりのはずなのに
肉体をもつことは、形をもつということは
それだけ制限も生まれるということだ

元々は、みんなひかりの中にいた
自由で、暖かく、希望に満ちたひかり
そこでは、過去も未来も時間の概念がなく、
「愛すること」がどういうことなのかが分かるらしい
私たちは、元々はひとつの存在だったと
いうことが分かるらしい

肉体という、世界での輪郭
つまり、世界との境界線をもって
私たちは生まれてきた

そして生きているうちに、
不自由や、寒さ、絶望を知る
ひかりだった頃を忘れてしまう

自分の体は、実体以上に重くなり
思うように動けなくなる
本当は風のように、軽やかな日があったのに
暖かで、すべてとつながっているような時間があったのに

重くなった心の荷物は
オートメーションでは減ってくれない
一つずつ、確認しながら、手作業で下ろすしかない
それなのに毎日は
次々と過ぎて、待ってくれないね

マロとおばあちゃんは、生まれた体を脱いで
世界での輪郭を変えたけど
実はすごく近い世界にいるんだろう
明るく軽やかで暖かな
その場所の良さを知ることは、
今の世界を降りることとはつながらない
いつかそこに行けるならば、安心して
今は私の世界で、今もっている体で
生きるべきときを生きるだけ

人間は、生まれ変わるまで50年くらいかかるらしい
おばあちゃんはまだひかりでいるな
猫は、数週間や1ヶ月、長くても1年くらいで生まれ変わるらしいから
きっとどこかの家猫だ
人と縁のあった動物は、また人と縁のあるところに生まれてくると聞いたから

そして、生まれ変わっても、元の人格も残るんだって
魂はいくつも分かれていく。仕組みは謎よね
ろうそくの火が、いくつにも分かれていく感じ?
それともひかりだから、分裂というのも違うのかな


つらいとき、自分がひかりだった頃を
「思い出す」ふりをする
覚えていないけど、覚えていないのは意識だけで
体は覚えている気がする

私たちの体は、ゼロから生まれたわけじゃない
ずーっと、脈々と、続いてきたものだから
自分の体に、自分じゃない記憶があって当たり前だ
魂は魂で、別のプロセスをたどって何度も生まれ変わるから
時々は、魂だったときのことを忘れていない人もいるだろう

私たちには、個としての「名前」がある
でもたとえば満員電車に乗るとき、私たちは「◯◯さん」ではなくなり、風景の一部になる
そして会社についたら、「◯◯さん」に戻る

肉体をもった私たちは、「個」である
同時に地球の一部として、「全体」でもある

魂も、「個」である
ひかりとしては、「全体」でもある

私たちは、いつも繰り返している。


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