おばあちゃんが来た

転職活動をしているとはいえ、無職なので、
変に時間ができてしまう。
暑すぎるから散歩にも行けないし、
先日実家のエアコンにのどをやられてから、
エアコンもしんどくなっている。

なので、なるべく冷房のあたらない場所で
スマホを見たり、ぼーっとしたりしていた。
それで、なんとなく本棚を見て、
久しく手にとっていなかった本を取った。

それは亡くなる前におばあちゃんがくれた唯一の本で、
宜保愛子さんの本。
主に霊界や生まれ変わりのことが書いてある。

後半をパッと開いて、パラパラ〜と読んでいたら、
「好きだった食べ物だけでなく、趣味の何かをそなえてあげることも供養になる」といったことが書かれていた。

せっかく読んだからと、おばあちゃんの写真に向かって氷川きよしさんの曲をシャッフルで流してあげた。
(時々広告が入っちゃって、ビックリさせちゃったかもなんて考えたりして)

これは、気まぐれな孫の気まぐれな行動、
のつもりだったんだけど…

スマホで「あれ?」と思って日付をみたら、
今日がおばあちゃんの命日だったんだよ。

あまりに驚いた勢いで、
つい実家に電話しちゃったね。

お母さんもハッとしてて、じゃあうちでは桃をそなえてあげると言っていた。

本を読んでる間とか、音楽を流し始めたときは、
なぜか全然気がついてなかったんだよ。
だからこそ、最後に気づいた驚きが大きくて電話した。
私が電話するところまでがセットだったんだろうなぁ…

みたいなことを思ってるうちに、
シャッフルで流れてきた氷川さんの曲が
「見えんけれども おるんだよ」という曲名で
なんというか、すごいと思わざるを得ない

『命日占い』に書いてあったことだけど、
命日は、亡くなった人にとって一番大切な日になるらしいのです。

生きている人がこの世に生まれたのが誕生日…
亡くなった人の命日は、霊界に生まれた誕生日になるということでもあるのかな…?

とにかく、人は亡くなるときに命日を選ぶようです。
友達のお父さんは、友達が大好きなアイドルのデビュー記念日に亡くなった。
絶対忘れられない日に、どうして…と言っていたけど、『命日占い』を読んで納得したみたいだった。

だから、普段からもそうだけど、
せめて命日のときはきちんと一度思い出そう、
と思った。

それに私はここのところ、転職活動で、
「経済社会の、現実味のある仕事」のことばかり考えざるを得なかったけど、
やっぱりこういう目に見えない世界のことや、体の神秘のことを考えたり書いていくことは続けていかないとと改めて思った。

おばあちゃんは姿形とか、音とかでは現さないし、
私が本当につらいときでも、返事をしてくれなかったりもしたけど(そりゃそうだ)
私が一方的に「おばあちゃん〜」って思ってるだけじゃなくて、
こうしてちゃんと知らせに会いにきてくれるんだなって思って安心した。

今日はしばらく氷川きよしさんを聴きます。
それでは!


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