ゲーム機の権利…

最近まで思い出しもしなかった記憶だが、
当時はものすごく気にしたなぁという話。

小学生の頃、友達とふたりでゲームセンターに寄った。
そのとき友達がお金を入れたゲームは、ルーレットが欲しい景品に止まるようにタイミングを見計らって、ボタンを1回押すだけのもの。

友達が、真剣にじーっとタイミングを伺っていたとき、
私は珍しくいたずら心で、横から勢いよく
「へいっ!」と勝手にボタンを押した。

お金を入れたのはその友達だったし、
タイミングを見計らってボタンを押すだけのゲームであるのに、私が冗談でその一番おいしいところを持っていってしまったわけで、
ひと笑い起きてから、もし怒られても100円返せばいいぐらいの、そんなはずのことだった。

「あー!」と笑い合うような、そんな展開が起こるはずだった。

なのに、まさか、当たってしまったのだ。
当時で一番新しかったゲーム機、DSが。

ふたりとも、息が止まる。

友達は、自分で押そうと思ったはずのボタンを横から押された驚きと、
こんなゲームで当たるはずないよなと2人ともどこかでたかをくくっていたのに、しっかりと特賞のDSを指して止まっているゲームの針、ダブルの驚きだったろう。

ふたりの時が止まった。

私は一瞬のうちに計算をした。

この子…、もうDS持ってたよな、と。

私はすっっっごく欲しかった。
小学生にとって、電子ゲーム機というのは、
一番の高級品だ。

私が押したタイミングで当たったやん、と。

その子自身が押していたら、おそらく当たっていなかっただろう。
その機械の構造として、タイミングを狙うと当たらないようにズラした設定がされていただろうから。
突拍子もないタイミングだったから当たったのだ。

でも、そんな理屈は通らないことはわかる。
だっていたずらでボタンを横取りしたのだ。
DSの権利はない。

でも…でも…でも…
なんとかして自分の権利にならないかな?
少し粘った。

本来なかったはずの、ふたりの間にある…
というか、その友達の権利でしかないのだが、
とにかく新しく生まれたDSの権利。

悔しかった…

だが、その友達には妹がいた。

「友達はDSもう持ってるし、ワンチャン私にも権利あるのでは…?」という粘りは、「妹にあげる」という理由でハッキリと手打ちとなった。

それなら、仕方ない…、よね

だが。
そんなにスッキリとした気持ちではなかったと思う。

私はその妙な悔しさをその後どうやって鎮めたのか、あまり覚えていない。
母にも兄にも話したのを覚えているし、しばらく何日も引きずったはずだ。

あのDS、もし友達が譲ってくれていたら、
32歳の今、何か変わっていただろうか?
今のわたしが思うに答えは否である。

もしあのとき、私が変な粘りを見せずに、
かっこよく「よかったじゃん!」と(と言うのも変だけど、とにかく)スマートに友達の権利100%で対応できていたら、私の人生は何か違っていただろうか?
それもたぶん答えは否である。

長い目で見れば、そのくらい人生にとって影響もない、大したことのない出来事。
だけど当時は全くそう思えなかった出来事。

人生ってほとんどがそういう出来事でできてるかもしれない。

でも、DS、したかった……
やっぱりDSができていたら、人生ちょっと変わってたかもしれない。
スマートに100%譲れる自分は絶対いなかったです。
ちょっとだけ粘った自分が愛おしい。
おやすみなさい。


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