人ひとりには必ず
「自分の道」というものがあって

明らかに、誰かと一緒に歩いているようなときでも
実は同じ道は歩いていなくて
みんなそれぞれが、ひとりの道を歩いている

それは赤ん坊が、
母親に抱かれているその瞬間も

恋人同士が、まるで永遠を共有し合うような
感覚になったその瞬間も

臨終のとき、ベッドで親族に
囲まれているその瞬間でも
いつでもたったひとりの道を歩いて生きている


未熟な社会がつくったシステムには
不平等が伴う
不完全なシステムは不均衡をつくる

けれど誰しもが、自分の道を歩いていくこと
それには例外がない


社会の用意したシステムは絶対ではなく
地球が用意したシステムからは逃れられない

どんな世帯にどんな給付金を配るのか
どんな税制でどういう風に徴収するか
どんな仕事に十分な給与が与えられ
どういう人が世間で尊重されるのか

そんなのは全部ひとがその時々で
気まぐれに決めることだ

それでも
陽がのぼることや、星が流れること
海の音や、土の匂い
風の吹くことを

誰ひとり、止めることはできないように

いつから続いていたか分からない、途方のない道を
この先も歩いていく

「いくつになっても遅すぎるなんてことはない」
ある意味当たり前のことだ
その人には、その人に用意されたタイミングがある

誰かのマネをするのではなくて
誰しもが自分の道を歩くこと

そしてそれを自覚すること

だが、これは「自立」や「孤独」といった
社会上の概念とは、全く別の話

自立や孤独なんていうものは
単なるひとつの意識である

人ひとりが自分の道を歩くこと
それは「社会的・精神的な自立」という意味でなく、「孤独・孤高」などを指すものでもない
ただそうするだけということ

人生は大げさなものではなく
人ひとりが、それぞれの道を歩くということ
全員、ただそれだけということ


世に溢れる情報は、ヒントにはなる
ただ、ヒントがどれだけあっても、結局は
自分で見つけたことだけが、自分の中での答えになる

あなたにはあなたにしかない苦痛があり
喜びがあり、悲しみがあり
大きな声をあげて、誰に知られようとも
小さなまま静かに死んでいこうと
ただただ自分の道を歩いているのだ
そこに意味や価値を見出すのも、見出さないのも
自由だ

道を歩いていて
成長しようが、何ができるようになろうが
何もできなくて、誰もいなかろうが
泣き喚いて、悲しみに暮れようが
どんな景色を見たり、何を食べようと
ただ道は続いていく

誰の役に立とうが
どんなに人を救おうが
どれだけの人に感謝されようとも
いつまでもひとりの一本道だ

誰かの歩き方や、方法や信条をマネしてもいいけれど
まずはひたすら自分の道を歩いてきた自分に
聞く方が早いかも

あなたの道を知っているのはあなただけ
あなたの言葉を聞けるのはあなただけだから


誰に指図される筋合いもない
部屋でいつまでもメソメソ泣いていようとも
ついマイナス思考で同じことをぐるぐる考えたりするのも自由だ

ちょっとしたことでイライラしても
八つ当たりして自己嫌悪するのも自由だ

自分の不器用さに落ち込んでも
分かっているのにできなくて悔しむのも
全部自由なのだ
前を向くのも向かないのも自由、
そもそも前とか後ろとかうるせえよって言っていい
暗い顔して歩くのも自由
真顔でいようが、くよくよ過ごしても自由
だってそれは全部、地球でしかできないことなんだ

明るいところでニコニコしてるだけが人生じゃない

成長することが目的なんかじゃない
上を目指すことも、下に落ちないことも目的じゃない

そうめんのつゆを、一発でほどよい味にできて
それを自分で褒めてもいいし、褒めなくてもいい

外に落ちているごみを拾っても、拾わなくてもいい
政治に興味をもっても、もたなくてもいい
腕を回転させて踊っても、踊らなくてもいい
歌いたいときに歌っても、歌わなくてもいい

なんでもいいのだ
私たちは、道を歩いているだけなのだから

 

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