だれのからだだ

数年前、地元のやさしい歯医者さんでの治療後のこと。

医「これからも、気がついたときはなるべく2日に一回でもフロスをやった方がいいね」

私「うーん……(今までの習慣からして、できるとは言えない…)」

医「まぁ、それは僕のためにやるわけじゃないからね、あくまで自分の歯のためだからね」

そのときはこの最後の発言を、どういう風に受け止めたらいいかわからなかった。
だって当たり前のことを言われたのに、違和感があった。

それは、
歯医者は歯を治してくれるところ、
だと思っていたからだ。

私は、「フロスを習慣的にしなくても、悪くならない丈夫な歯」にしてほしかったのだ。

今はそれが無茶な話というのはわかるけど、
でも、私は意識するでもなく、当然のようにそう思っていた。

昨日の朝、兄にLINEで「なぜ絹の靴下を履くといいのか」を突然に投下してみた。

私にもしそんなLINEを急に送ってくる妹がいたらこわい。
でも兄は体調不良を訴えることがあまりに多く、問題意識は十分にあったし、ピンとくることがあったはず。

はきます!とだけ返信がきたため、本当かよ、本当に読んだのか?と疑ったが、夜に靴下のことを言うと、「ああ忘れてた、そこにあるからとって」と。これはちょっと上からの命令です。←

とりあえず履いてくれたので、よしとしたけれど、
私は歯医者でのことを思い出したのです。
私のために履くわけじゃないんだぞ?と。

私がむかし熱望していた、一瞬で全回復するポケモンセンターはない。エリクサーもない。
毎日コツコツ大切にしていくしかない。

でも、みんなそれから逃げたい。
だってそれがいちばん大変だから。

私もそうだ。
つかれたときは甘いものが食べたいし、半身浴の数十分が長いと感じる日もあるし、気がついたらポテチを食べてしまう。

だから、修行僧のように禁欲的になるわけではなくて、アスリートみたいにストイックにする必要もなくて、日常に、1%でも気にする意識があればいいと思うのだ。

できなくても、できなかった~~と反省する必要はない。そのへん、ゆるくても、つじつまは合う。人間はすごい。

自分のためにやることだ。誰からも怒られない。子どもを育てる練習みたいに、優しくしたり怒ったりゆるしたり甘やかしたり。

そうやって、自分の様子を見ながら、体を大事にするということは、自分の人生を大切にすることそのものだと思うのです。

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