会社員無理だ記念日 その後

「会社員無理だ記念日」という記事を書いてから、
5年が経とうとしている。

まず内容は置いておいても、文章のテンションが今と違っていて少し元気。
たぶん、コロナを知る前の年だから…
それに、気功にも出会えていて、(内容はともかく)十分に前向きだ。
ただ、まだ実家を出られていない頃だから、今は出られていて本当によかったねと言いたい。
そういう意味では、やっと恋愛市場には上がれた気がする(あくまで形は)。
大きい進歩だ。

それで、「会社員は無理だ」と何年も前に気づいてはいるのだが、もう絶望的に会社員が向いていなかったら、そもそもその道を選べないわけで、中途半端につらいままやれてしまうから、また結局会社員(だけどやっぱり非正規)になってしまっている。

きっと、就職2週間目にしてめまいが起きた時点で、十分にサインは出ていたのだろう。
だけど私は、「自分は会社に勤めないと生きていけない」という思い込みがものすごく強かったので、なんだかんだでその会社に2年ちょいも勤めてしまった。
その後半年ニート、アルバイト6年、半年ニート、派遣就業。

どうして自分が嫌な思いをするように、わざわざ仕向けられているのだろうと思う日もあるけれど、
最初はここまでの大きさじゃなかったのかもしれない、徐々に徐々に大きくなっていくものなのかもしれない。「こいつは一体いつ音を上げるのか」と。

それはいじわるしているのではなくて、
自分が「こうじゃなきゃいけない」と本気で思い込んでいるから、本気で「もう嫌だ」と思うところまでいかせないと、本人が環境を変えようと思わないからかもしれない。
「こうじゃなきゃいけない」の思い込みは切ないほどに深く、頭を占めている。そして周囲の人間も同じ思い込みを持っている場合が多いだろうから、なおさら思い込みから抜け出せない。
そう思うと、なんて根気強い人間なのだろう。
真面目で、かわいそうだ。

真面目さは、切ない。
精一杯、義理を果たそうとする。
自分を損ねてまでも。
そうやって生きてきたことが、切ない。

自分のことだけ考えて生きていいのに。

すぐに礼を果たそうとする、義理を尽くそうとする。
これは、自分の無価値感から来るらしい。
こんなにしてもらう価値のある自分だと思えないから、対等にお返しをしないと、という気持ちになるらしい。

自分がやってきたことに対する自信はあっても、親に認められてこないと、存在に対する自信がもてない。

存在に対する自信がもてないと、
「このままの自分でいていいのか分からない」
のだそうだ。

私は、このままの自分でいていいのか分からないまま、ずっと生きてきたということだ。

私たちは、ただここにいていいのに。

学校では勉強ができたり、運動ができたりすることに存在意義が置かれて、会社では仕事ができることに存在意義が置かれる。

運良く、恋愛において自分の存在を全肯定してくれる人に巡り会えればバランスよく生きられるかもしれない。だけど「自分がしたこと」にしか評価をもらえない世界にしか居ないとしたら、苦しくて当たり前だ。

そして、「恋愛において自分の存在を全肯定してくれる人に巡り会えた人」に対する自分の嫉妬には泣けてくる。
私にとって喉から手が出るほど得たくても得られてこなかったもの、それがあればもう何もいらないのに、というものだから…


人生はいったいなんなのだろうか?
誠に皮肉なものだ。

お金を得たいとうっかり手を伸ばせば、
詐欺に遭って借金をしたり。
恋をして人生が薔薇色に色づいたかと思えば、
失恋ですべてが灰になったり。
頑張っていればうまくいくというわけでもなく、
性格がよければ幸せというものでもない。

スパゲティのようにランダムに見えるようで、
一本の木のようでもある。
目に見えない無数の要素が組み合わさった、とんでもない秩序の先に成り立っているようでもあり、
時にご都合主義のように強引でもある。

何を願えば正解なのかも分からない。
物事には表裏があり、単独で存在することはできない。
そして出来事を区切ることもできない。

苦しむ必要のないことに苦しみ、
自ら病理をつくりだす。
そして、それが仮に分かっていても
変えることができなかったりする。

人生とはなんなのだ?
生きる国や時代ひとつで、なにもかも前提が変わる世界で、
絶対的な善悪などなく、すべてが移り変わるこの地球で。

気持ちはとてもシンプルなのに。
私はゆっくり静かに過ごしたい。
好きな人たちに笑っていてほしい。

楽しくありたい。
苦しみなんて、クシャクシャにしてポイだ。
死んだ顔しながら働く毎日なんかいらない。

何をしていてもなんだか嬉しくて、気楽な人生、
「もしかしたら私にも」なんて思っただけで泣けてくる。

とにかくもう、会社員は無理なのだ。
なにがなんだってもう、会社員をやめるのだ。
どんなに滅茶苦茶に、はちゃめちゃにどうしようもなくなっても、
きっと今よりマシだから。


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