健康のために何を払う

「健康」は当たり前じゃない、ということを前提としたとき、健康のためにあなたは何を払えるだろうか。

私は、冷えとりに時間と労力を払っている。
おかげで体は温かく、今までとはまったく違う体と生活、安心できる心を得た。
でも、それは今のこの生活があってできたこと。

兄は「お金」を払う。病院に使う時間、診察代、薬代。
兄は「俺は東洋医学より西洋医学が好き。すぐに結果がほしい」と断言する。いかにも現代的な発想だが無理もない。激務につかれ、へとへとな状態で、「時間」や「手間」を払っていられない。

兄が手離さないのは激務の仕事。
職、お金、安定した生活、社会的な地位、
その代償に「健康」を払っている。

私はフリーターで、フルタイムでも、バリバリの人からしたら少しは時間がある。2年前に、そういう仕事を選んだ。体調にも体力にも自信がなく、ハードルの低いものを選んだ。

だから、正社員の安定した給料や、自立した生活は得られていない。得ていないものに、苦しんでいる。でも、それは今の悩み。当時にはなかった、新しい悩み。「若い間の大事な2年を払った」と思う人もいるだろうが、私はそうは思わない。新しく悩めるということは、変化したということ。

あのときにもし変わらず、「正社員の事務」にこだわり、今の仕事を選んでいなかったら、ずっと同じことで悩んでいただろう。
ずっと「同じこと」で悩むより、変わって新しい悩みを抱えた方がいい。その先にいる自分は、もう「今の自分」ではなくなっているはずだから。

何を優先するか。
自分が本当に優先したいことはなにか、
選ばないといけない。

自分の本当の心に従うことが、
自分を大切にするということだ。
他人からわかる正解はない。

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