必ず意味がある

考えてみておくれ。

もし、生きることそのものが、
自分の魂を磨くためにあると仮定するならば。

そして、今までもこれからも、
いろんな生を受けることで、
修行を続けていくとするならば。

すでに今にたどり着くまでに、気の遠くなるほどの回数と、長い年月をかけて、あらゆるものに生まれ変わってきたはずだ。

そして、そのあらゆる経験すべてが、
「魂を磨く」ということならば。

単なる知識や記憶はもっていけないけれど、
心の経験は蓄積されていくもの、
ということになるはずだ。

ゼロにはならない。

頭だけで通りすぎたことは、脳(肉体)にとどまり、もっていけない。
心を通した感情や経験は、魂に残って、もっていける。
(たとえば初めて訪れた場所にきて、なぜか懐かしい気持ちがする、ということも、その部分のひとつではないだろうか。)


そう考えたとき、自分がこれからどんな生き方をしたらいいのか、少し分かってくる気がしませんか。

自分の魂が、数えきれないほど何度も、地球上への生まれ変わりを繰り返した結果、やっと今があって、人間的体験をしている真っ最中だとしたら。

この顔体で生きてみる経験ができるのは、確実に今だけだ。
そしてあの美人も、来世ではブスかもしれない。しかも、自ら選んで。

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