使用するエネルギー

頭のなかの、いくつものルールを守りながら行動するのに、エネルギーを使う。

たとえば、上司と話すときは「ちゃんとした言葉づかいをする・意図を簡潔にわかりやすく伝える・声のトーンを低くしない・相づちは笑顔でする・他の人や先輩も見ているので媚びすぎない・距離と空間の静かさに応じた声の大きさで話す」などなど。

挙げてみれば驚く。これだけのルールを意識しながら話そうとしていたなんて、そりゃ高度すぎる。どれも完璧になんてできない。友達とは気軽に話せても、職場では緊張してうまく話せない理由が、書いていて今よくわかる。

気功の先生によれば、「過去のトラウマのようなことが基準になって、『あんな思いはもうしたくない』という思いが過緊張を生む」とのこと。
思い当たるふしはありすぎる…

学生の頃に自己啓発本を読みまくって、こういうルールをたくわえた。でも、蓄えたいと思ったのは、自分に武器をつけるため。社会に出るには装備がいると思った。装備がいると私に思わせたのは、無限の「不安」をもった外からの情報たちだ。

塾の先生も年上の大人だった。楽に話せたのは生意気でいられたからだ。でも、だから、楽しかった。先生も怒るどころかもちろん楽しんでいた。敬われないと怒るような大人なら、私はどう思われてもよかったのに。
世界は過去の私が警戒するほど(母やテレビが警告するほどには)怖いところじゃない。本当は人生も仕事も健康もお金も恋愛もそんなに難しくない。

「不安」はお金になる。
不安を煽って、「買えば安心」と思わせる。
「売りつけられる壺」は、「壺」だけじゃない。

ルールを守らなくても別に嫌われたりしない。
嫌われても死にはしない。
私は私のままでいたらいい。

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