私のヴィラン

私がスーパーヒーローであったなら、
その一番のヴィランは間違いなく母だ。

味方の顔をして、あの手この手で
行く手を阻むのだ。

 

未熟な正義は、
いつも悪によって育てられる。

 

ある意味それは、幸福なことだったのかもしれない。

 

(追記:それでも、それでも、もしやいやがらせかと思うほど価値観が真逆で、日々真剣に存在を考える。私がモリモリ健康になった今でも、彼女が怒りの種であることは変わらない。もうこの戦いには飽きた。冒頭の続き、私が母というヴィランに育てられたスーパーヒーローだったとしたら、外の誰もそのヒーローの名を知らない。だって戦っているのは家の中だから。正義の名の下に、敵を倒せたらなんと気持ちがいいことだろう?大義名分があり、みんなの英雄にもなる。敵を堂々と犠牲に出来て、目の前から排除もできて、自分が英雄になれる。キングピンみたいに肩幅が明らかに敵みたいで悪そうな見た目だったらいいのに。母はただの不機嫌な中年。善良な市民。常識的で良心的な母親。嫌いの形はいくつもある。こんなに嫌いな人はいない。映画の中の母親像はなんて優しいのだろう?そして「悪い母親」に描くときはなんと極端なのだろう。うちの母親はどちらにも当てはまらない。物語にもならない。助けてください。もう家を出るしかないことは何年も分かっているのに。それがいまだに出来ていない本当の理由ってなんだろう?もう考えるのもいやだ。私は落ち着いてると思うんだけどそんなこともないのかもしれない。誰かの作ったストーリーに感動するだけの日々はもういやだ。もう情報はいらない。勇気の出る言葉を100個見ても私は実家を出れない。勇気の出る話を100個知っても私は転職していない。)

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