夏の夜、ひとりサイゼへ

(※長文・オチなし・ただの今晩の思い出記事です)

昼間は暑いので、極力出かけたくないが、
足の筋肉が弱ってしまいそうなので、
変な時間に寝て起きて、風呂に入り、
閉店2時間前のサイゼへ向かう。

「あのピザが食べたい」と体からメッセージを受けたため。

お店に入って、店員さんよりも先に
トイレに立ったお客さんと目が合う。
好みのタイプだ。
なんでそれだけで得した気分になるんだろう?

席に案内されて、PPPDのめまいを今日も感じながら、
メニューを見ると、お目当てのピザはなくなっている。
「ミラノサラミとハムのピザ」もうないのか…
体から「食べたい」と言われたのでわざわざ出向いたが、もう食べさせてあげることはできない。
こういうことはよくある。

それでは別のピザを頼むかと思いきや、チーズ違いで、イタリアンハンバーグを注文する。
この時間にイタリアンハンバーグ…
欲していたのは肉とチーズだったらしい。

注文が来るまで、なんとなく過去を思い出す。
予定を確認するために手帳を見ると、
今月はおばあちゃんの命日がある。

おばあちゃんは生前、補聴器を使用しており
いつ壊れてもいいように、同じメーカーの同じ機種の
予備が欲しいと、珍しく強く要望していたことがあった。
どうにかして買ってあげたいと、ネットの力を生かして探した記憶がある。
もう生産は終わっているものだったため、最終的には確かネットに中古で出ていたものを購入したような気がする。
予備は無事にすぐにおばあちゃんの元に届いたが、おそらく亡くなるまでその予備機を使うことはなかっただろう。
でも、「予備がある」という気持ちでいられる安心感は、十分にその価値を果たすものだ…とひとり合点する。

なんのオチもないけれどそんなことを考えていたが、まだ料理が来ない。

今度は、おばあちゃんと同居をしていた伯母との回想。
伯母は今は一人暮らしだが、地域の周りの人と仲がいいので人には囲まれている。

伯母は基本的には優しいが、なんとなく私には冷たいときもある。兄との接し方とは明らかに違う。

「◯◯(兄)は本当にやさしいねえ」
とよく言うのだが、私は言われたことがない。
世間的にはどう考えても私の方が優しいのだが。
私は女だからかもしれない。

変な家族は、親戚も変な場合が多い。
閉鎖的な苦しい世界だ。

おじいちゃんは、戦争の苦しみの反動でアルコール中毒だった。体を悪くして、私が小さい頃から寝たきりだった。

父方のおじいちゃんは、そもそも父が中学のときに亡くなっており、父方のおばあちゃんとは一度も会ったことがない。遠い場所であったのと、あの母と姑がうまくいくはずがなかったので。

父方のおばあちゃんもなかなかの人だったらしく、父の弟夫婦とも折りが悪かったそうだ。孫に対しても「うるさい!」と怒鳴りつけ、「おばあちゃんきらい」というような関係だったようだ。

父方のおばあちゃんと兄は幼い頃に一度だけ会っている。
私は会えずじまいだったのが、幸か不幸かも分からない。

暗い気持ちになりかけるが、
どうすることができるわけでもない。

そういえば、母方のおばあちゃん家には猫がいて、猫がコミュニケーションを担ってくれていたなと思い至る。
猫のおかげでだいぶ救われてきた。

親戚から「目に入れても痛くない」ほど可愛がられた記憶はないし、伯母にも「ふつう姪にこんな声かけしないよな」という思いはある。

別にだから何というわけでもないが…
ある意味、私がどこかに嫁いで、もう伯母と会えなくなってしまっても、もう仕方のないことだと諦めはつく。たくさんお世話になったのだけど…。

そこまで考えて、「まだ料理来ないか?」と思っているとようやくイタリアンハンバーグが来る。

半分くらい食べた頃、すべてのもの(添え物のジャガイモとコーン、ハンバーグ、目玉焼き、ライス)が均等に食べ進められているのを見て、器用であるがこれを無意識にやってるからつかれるんだよなという思いも沸く。
常にぎゅっとすればお子様プレートにできるぐらい完璧なペースで食べ進んでいくのだ、いつも。
だからパスタなど、一品で完結するものは食べるのが楽だ。ナイフとフォークをたびたび持ち変える必要もないし。(ただパスタでも、中に入ってる具材などを完璧な割合で食べ進んでいくのだけど…。)

そして思ったよりもお腹がいっぱいになってしまったので、そこそこ残してしまう。
元々はピザ1枚のみ食べる予定だったため。
「料理を残すお客さんは意外と結構いるから、あまり気にしなくていいよ」というのを以前ネットで読んだ。
今まではとても気にしてきたので、今はそれも心理的には自由だ。
何もかも自由だと、本当に自分で律する他なくなる。
そこで『自由からの逃走』という本があったのを思い出す。学生の頃は、そんなはずは…と思っていたのだが、今は分かる。
「俺はある程度、(会社に)しばられてないと動けないタイプだからなぁ」と先日父が言った言葉が浮かんだ。

閉店間際にお会計をする。
お店を出ると、何かのお店のキャッチのお兄さんが立っていた。スーツのワイシャツに黒いベスト。
この人もチラリと見ると、メガネで好きなタイプ。可愛い目をしていた。絶対に年下だなと思いつつ、まっすぐ歩く。
やっぱりメガネが好きなのはもはや宿命レベル。

今日は昨日の夜よりも涼しかったので、ふつうの夏の夜だなという感じ。
道の虫たちをよけながら進む。

いったい今までどれほど夏の夜を、こういうただの道路を歩きながら友達と語ってきたか分からない。中学のときの友達。もう何年も会っていない。
そして内容をほとんど覚えていないのだからすごい。
およその見当はつくけれど。

オードリーのラジオでもよくそういう話をされている。

あと夏の夜は、どうしても祭りを思い出す。
祭りでなくても、男友達に呼ばれて夜から外に出かけたり。
なんとなく楽しい感じ、夏休みのイメージだろうか。

望んだことは得られず、苦しいことばかりで、とばっちりばかり喰らってきたような気もするが、ちゃんと分かってくれる人はいたし、認めてくれる人もいた。そこそこに楽しい時間はあったと思い至る。

誰の人生も、私の人生も、全部正しい。
おやすみなさい。


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