せかいがかわる

気功の先生に、「隣人の、深夜から朝まで続く謎の音声が、地味にずっと聴こえててつらい」と相談したら、
会ってみないとどんな人かわからないし、案外自分の音の大きさに気づいてないかもしれないし、話してみたら意外といい人だったりすることもあるから、直接話してみた方がいいんじゃないと言われた。
対面はちょっと厳しいので壁越しに声かけてみていいですかと聞いたら、「壁越しでも聴こえるの?壁越しでもいいと思いますよ」と言われたので言ってみた。

最初は、どの程度声が相手に聞こえるのかわからなかったので、練習のつもりで、ある程度ふつうの声で壁に向かって話してみた。

いや、どんだけ壁薄いのよ…
その一回で届いたよ…笑

それで、すぐ音を下げてもらえた。
もし下げてもらってもまだ結局大きく聴こえたら不安だなと思ったんだけど(前回に壁をノックしたときそうだった、それからその音量でずっと我慢してた)、ほぼ聴こえないレベルに下がったので、めちゃくちゃストレス度が下がった。

毎日こんなにいやだったんだな…
隣が静かってこんなにうれしいんだな。
(そのために模様替えしたくらいだもんね)
時々はどこかに泊まってるみたいで、いない日は快適だったし、週末とかは仕方ねえなとゆるしてたんだけど、それでも毎日怒りは募ってきていた。

一言で世界が変わった…

気功の先生っていつもこういう感じで、私の世界を変えてくれる。
以前、係長に直接、思ってることを話す機会をつくったのもそうだった。
でもこういうのって、ただの思いつきでやったり、そういう言葉の縁なしでやっても、ふつうに悪化したりすることの方が多いのよね。でもそれが一度もないのは、先生の言葉だからだと思う。
人生経験+α。「気」ってすごいよ。

最近、世界が変わった話はもうひとつ。
夏に行った2箇所の占いで、「今年の秋に仕事で大きな変化がある」と両方の占い師さんから言われた。
業務の変化は夏には決まっていたことで、月刊誌の手が離れることを指していたのだと思う。
そして、その時期がようやくやってきた。

想像してはいたが、いざ離れてみると、本当に楽でびっくりする。
「え、あれもやらなくていいの?これもやらなくていいの?え、あれも?あれも?あれも?」ってくらい、こまごましたことが無数にあった。
すごく、すごく落ち着いて仕事ができるようになった。
(その分立ち上がる機会も減って、こまごま人と話す機会も減ったけど…笑)
くるくる常に頭を回していたときと違って、やるべきことが明確になり、ドーンと太く取り組めるようになった。
離れてみて初めてわかる。
私こんなに頑張ってきたのか…

しかも、これを機に係長との仕事がゼロになって縁が離れたので、あの人の仕事の適当さに、猛烈に怒り狂う必要もなくなった。
まるで熟年離婚のような気持ち、今さら丁寧に接する気も起きない。さよならー!
悪い人じゃなかった、けど本当に、本当にひたすら相性の悪い相手だった。


そういえば先生にも、今までちょこちょこずっと仕事のことを話してきているので、経過をわかってくれている。

今回、予約のメールをしたとき「さいきん胸(呼吸)がくるしい」と書いたら、「コ◻︎ナ禍のネガティブな波動は知らぬ間に心を疲弊させ、消耗させてしまいます。その上、気温の上下動が激しいので、冷えも溜まりやすいですね」と返事をくれて、実感としてそのとおりだったのでほっとしていたんだけど、
いざ施術のときに、月刊誌の仕事が離れたことをちょろっと話しただけで、「それもあるかもしれませんね」と言っていた。たとえば「大きなプロジェクトがようやく終わって、そろそろやっと休めるなってときに体調をがくっと崩したり」という話をしていて、聞くまでその発想はなかったけど本当にそれだと思った。
それほど気を張っていたんだということに気がつく。
「それ(月刊誌)をやれたんだから、もう大抵の仕事はできるでしょう」と言われて、しみじみと安堵の嬉しさが広がった。

「臓器は医者のものなのだ」って浜野謙太さんも歌ってるけど、自分よりも自分の体に詳しいのはお医者さんも気功の先生もおなじだ。お医者さんは体の中を見て、先生は体の声を聞いてくれるのだが。

近況報告だけど先生のすごさがメインになってしまった。
わたしは自分のことをしばっている目に見えない糸を、ひとつひとつ探しながら、これからもどんどんほどいていきたい。まだまだあると思う。

最近ある男のことを思い出しては、思い返せば思い返すほど腹立たしく感じている。

今、ちゃんと腹立たしいと思えることは、すばらしいことだ。当時の悲しみに対して今怒れるということは、すばらしいことだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?