取り残されて新しい

中学の卒業前、先生に聞いた。
「先生っていう職業は大変ですか」と。

夢を「職業名」で答えると、分かりやすいから周りの大人が喜んだ頃だ。
わたしは本と、国語のすべての分野が好きだったし、国語の先生たちも大好きだったから、「分かりやすくて明快な夢」に国語の教師を選んだのは、安直ながらも当然のことだった。そのときはそんなこと感覚でしか思っていなかったし、当時なりには本気だったけれど。

「やっぱりみんながこうして卒業していっちゃうと、自分だけが取り残されたようで寂しいよね。…それでもまた新しい子たちが入ってくるし、わたしは楽しいと思うよ」

先生は希望をくれた。

…私はもう先生を目指していない。最初からちゃんとした意味で目指していなかったといえばそうかもしれない。
でもあのときの言葉はちゃんと覚えている。

不安でいっぱいだろう。
大事に育ててきたつもりの娘が、自分から距離をとろうとしている、それも強引に、自分をいやがって。
60歳を越えて、変化というものは、どれだけ不安だろう。
自分だけ取り残されたようで。
どんな人にだって自分の生き方があって、それは小さな子どもにすらある。自分を変えることは「修正」のイメージがあって、それを「修正しなければいけないと思う(思われている)こと」が嫌なのだろうか。

トランセンデンスのセリフを私は何年も、手帳を新しくするたびに書き写している。

『人は未知のものを恐れる』

それでもその分、絶対に新しい何かが待っている。


大義名分は置いておいて、
怖くてもやってみるしかありません。

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