バラがかれた

ついにバラが枯れてしまった。
そもそも1週間くらいしかもたないらしい。
今日でちょうど1週間だから、健闘した方なのかもしれない。

なごり惜しいので、まだ生きている茎と葉をつい残してしまう。双葉がかわいい。

花と過ごしていると、多くのことを学べる。
まず、愛の注ぎ方だ。
花は「こまめに愛する」しかない。

たとえば一度にドーンと水を用意して、
「よし、この水で一生頑張れ!」とはいかない。

毎日水を替えて、茎の先をななめに切る。
今日も元気だね、かわいいねって声をかける。

私もそういう愛がほしい。

今日は上司から連絡があった。
今回も時給が上がらなかったそうだ。
評価はいつも相対的で、社会情勢や他のグループの事情などで、自分の業務量とは違ったところでも大きく左右されてしまう。
上司もそれまでたくさん掛け合ってくれたようで、評価に見合わない決定を不服に思ってくれている。
丁寧に事情を説明してくれて、私は納得した。

「納得感」というのはとても大事なものだと思う。
あるのとないのでは、全く違う。

上司が素晴らしい人だからわたしは今も続けている。
その人のもとで働きたいから、安月給でがんばっている。
かっこいい上司のそばにいるために、お金を払っているようなものだな。

最近は食費を計算するのをあえて放棄している。
食べたいと思うものがあれば、買う。
毎日でもアイスを食べるし、下手したら2個食べる。
おまけにカステラも食べたりする。

今を生きているのはただでさえすごいことなので、生き延びるためにはなんでもしようと思うし、したくないことはしなくていいなと思う。

ああ、復縁なんて全く考えられないのに、昔の縁を頼ってしまいそうになるくらい、あやうい。
連絡したらしたで後悔するのはわかっているのでやめている。
でも生き延びるためならいざというときはしてもいいなと思う。
あの人はわたしに似ていたから、きっとわたしと同じ気持ちをもっている。
そう思うと満足して、LINEを開くに至らない。
ほんとにどうでもいいときは向こうから連絡が来るのに、こんなにあやうくなってる間は全然来ない。
そんなだからきっと、今一緒にいないんだよな。

それと、アイプチをやめて出社したのが今日で4日目だった。今までよりやる気がなさそうに思われているかもしれない。だけどこっちの方がいいのかもしれないとも思う。

それから、やはりおばあちゃんやマロのことを考える。
生きているというのは体温をもった肉体があるということ。話しかけたら返事や反応をくれるということ。ご飯を食べておいしいと思ったり、お水をごくごくと飲んでプハーと思ったりするということ。太陽をまぶしそうにしたり、風を感じたり、暑さにうだったりするということ。
おばあちゃんもマロも、苦しみのないところにいる。
いつか苦しみのない場所にいくからこそ、生きている間のすべては財産になる。

ドラマのセリフ。
一度でも相手が笑っている顔を見たなら、その相手は今も笑っているということ。

マロは今もわたしの胸のうえで、ゴロゴロしながら満足そうに目をつむっているということ?

過去も現在も未来も、同時に存在している。

わたしは今かなり冷静で、人生で一番くらい冷静かもしれない。なんでこんなに冷静なのかわからない。
本当に冷静なのかもわからない。

いまだかつてこんなに冷静だったことがないので、これをほんとに冷静と呼んでいいのかわからない。冷静なくせに、かなりあやうい線の近くにいるような気もする。

記事を書き終わりたくない。
また今日もクッションで寝てしまう気がする。
夜中に起きて、窓を閉めて、アラームを早めにかけ直して、布団で寝直す。

明日は金曜日だ。
おやすみなさい。

 

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