母が…その2

母を「嫌い」だと言葉にして話したのは、
前回の記事が初めてのような気がする。

そして、公言したことで、
自分のなかでまた変化が起きた。

感覚でいうと、思考の鎖がほどけていく感じ。


そこに鎖があったことに、
ほどけてから気がつくのだ。

母の人生の責任をとらなくていいんだと
思えたこともそのひとつ。

それに付随してさらに、兄や父の人生の責任も
とらなくていいんだと気がついた。
私は、母にとっての親、父にとっての嫁、兄にとっての母にならなくていいんだと。
それまで、自分がそうなろうと思っていたことにも気がついていなかった。

もうひとつ変化をあげると、たとえば今日の母とのケンカは、たしかに私にも悪いところがあった。が、逆ギレして絶対に負けまいと心がけた。

今まで私は母に、自分が悪いと思ったらそれなりに謝ったり態度に示したりしていた。
でも、もうそんなんじゃ私の怒りの消化が追いつかない。

もともとフェアじゃなかったのだ。


母と娘は、フェアじゃない。
生命の構造上、力関係が明白なのだ。


だから、自分の正義で母とのことを判断するには、最初から分が悪すぎる。
そういうことにも、気がついた。


前も書いたが、私の心の荷物は
やはりまだまだ下ろしきれていない。
こうした変化を繰り返し、鎖を外しきって、
いつか心からカラッと笑えるようにしたい。

誰にとっても正しい人であろうとしてしまう。
でも、正しさだけでは生きていけない。

正しくても正しくなくても、
自分の信念に基づいて生きる。
それが自信になっていく。近道はない。

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