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仕事、生活、これから、2020-05

tanakaworldさんの Life From Home という振り返り記事が興味深かったので自分もこのところの生活の変化について書いてみたいなと思います。

(タイトル画像は https://m.signalvnoise.com/remote-working-the-home-office-desks-of-basecamp/ より、DHHの部屋)

リモート化していく仕事

個人的に2月中旬に体調崩して一週間寝込んだこともあり、そこからそのままリモート化するようになりました。

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もともと10人規模のスタートアップ企業なので融通が利きやすく、リモート出社も好きにできたのですが、生産効率を考えるとやはりオフィスで集まってみんなで仕事したいという感じでした。

世の情勢に合わせて他のメンバーもだいたいリモートになっていきましたが、行きたい人はオフィスに行くという体制は3月末まで続きました(良い環境だったので行けるなら行きたかった)。

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去年の11月に引っ越したばかりのオフィス

4月になるとオフィスのある建物でも感染者が出たため、完全に全員リモートに移行しました。

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会社ではSlackで勤怠をつけていて、リモートのときはいつもリモートと言うようにしてたんですが、みんなリモートのほうが標準になってだんだん言わなくなりました。

技術的には可能、なのに

これまでIT業種として、リモートワークはとっくに可能だったし、通勤距離が長い人やスポット参加の業務委託の人に関してはリモートでやりとりすることが多かったです。

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ですが、そこでの問題はオフィスの人とリモートの人で情報共有の差が出てくることで、やはり口頭で直接話すほうが手っ取り早く、その場に居合わせない人用にいちいちドキュメント化などを考えるとなかなかしんどそうだなと感じるところはありました。

(さらに言えばオフィス内でも、いわゆるタバコミュニケーションという喫煙仲間での情報共有というのも非喫煙者からすると情報差を感じるくらいでした)

そんな中、以前から耳にしていたのはGitLabの働き方です。

GitLabでは65カ国1200人のメンバーが全員リモートで働いています。

ちゃんと読んでませんが(読まずに書きます(読みましょう))、要はリモートでやるなら全員リモートを前提にすべき、というのは前からよく言われていたことです。

しかし社会的にほとんどの会社組織は物理的にオフィスを構えてそこに出勤する体制が当たり前ですし、まあリモートいいよねと言っても生産性のためにあるのがオフィスなのだからいまいち迎合できないところはありました。

なので、たしかに技術的には可能(エンジニアことばで、無理の意)なのにリモート化はなかなか実現が難しい問題でした。

全員リモート移行

それが全員リモートになってみると、これまでいろんな環境の情報差をどう埋めるかという課題は、みんなが同じ条件になることでシンプルに一元化し、もはや課題ではなくなりました。

(ただしこれは10人程度のスタートアップ企業でみんな同時に働いているからであって、規模が大きかったり時差が出てくるとGitLabのような非同期コミュニケーションなどの課題が出てくると思います)

「技術的に可能」を支える技術、すなわちネットワークインフラとコミュニケーションツールが十分に成熟してるというのも良かったところです。

STUDIOでは最初のうちは通話にGoogle Meetを使っていました。しかしMeetは会議室を抑えて会議するようなもので、いちいちチャンネルURLをslackに貼ってここで話しましょうなどとやるのが手間になってきたため、常に話しやすいDiscordに移行しました。(日頃、雑談したいなどのコミュニケーション不足も指摘されていました)

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STUDIOではDiscordのボイスチャンネルを使っていて、入っているチャンネルが各人のステータスになってます。discordにはマイクとスピーカーのミュート状態がアイコン表示されており、スピーカーミュートの人は割込み禁止状態ですが、マイクミュートのみの人は話しかければ大抵反応してくれるので、確認の手間が少ないです。

また、全員管理者権限にしているので、話したい人を勝手にドラッグして好きなチャンネルに放り込んで会話ができます(generalの拉致OKと書いてるのはフリー状態という意味)。もっと人数多いと分かりませんが、10人くらいの規模なのでこれがとてもよくワークしているなと感じます。

Discordではサーバービデオという機能が4月中旬からリリースされたので、ボイスチャンネルでのビデオ通話が可能になり、Meetのような運用もできるようになりました。

情報共有 Before / After

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これまでメンバー全体で情報共有するときには画面を写しながら話すことが多かったですが、人数が増えてくると画面が見づらいし(ドキュメント自体は手元のPCでも開けるけど話者の操作画面はみんなで同じモニタを見ないといけない)、物理的に集まるだけでも手間でした。

いちいち作業中のノートPCから配線外して持っていくのとかも億劫なところです。

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(Discordで話者の操作画面を10人で見ながら会議)

リモート化すると、それがサクッとできるようになりました。作業中の状態から会議にそのまま移行できるし、話者の画面を各自のモニタで見られるので細かいところまで確認でき、より話の内容に集中しやすくなったと思います。

また、これまで複数のチームで同時に会議するときは、物理的に距離を取らないと会話が混ざるためそれぞれで場所を変えるなど制約がありました。リモートではそういったところもチャンネルを変えるだけで済むのでスピーディです。

ビデオ会議の意味

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世間の実態はどうなのか分からないですが、リモートワークといったときに思い浮かべる絵面はやはり各人の顔を表示してのコミュニケーションというイメージがあるかと思います。

昭和生まれの自分にとっては、これは昭和時代から根強く存在した夢の未来像、「テレビ電話」の名残りなのではないかと感じるところがあります。(小学校の図工で未来をテーマに絵を描いた覚えがあります)

2000年代にはインターネットが普及してビデオ通話が技術的に可能になり、携帯電話でもできるようになったので、そのときに昭和の頃の未来ってもう出来てるんだなと感じました。しかし実際のところ顔を見せ合って話したいという機会は無かったなと思います(人によってはあるかもしれませんが)。

普通のコミュニケーションでは相手の顔を見て話しますが、仕事をする上では相手の作業画面と声のほうがよっぽど重要なので、ほぼ映す余地は無いかなと感じてます。(既に見知った人たちなので声だけ済むというのはあります)

リモートペアプロ・モブプロ

リモート化する前は、STUDIOにはペアプロ文化は正直ほとんどありませんでしたし、いまいちその利点を理解していませんでした。

それがリモート化してみると、相手の画面を共有するので自然と一緒にコードを書くことが多くなり、今までは各自で分担して取り組んでいた課題を、みんなで知見を集めて何が問題なのかを共有し、意思決定を行い、合意して解くということが可能になりました。

ペアプロ・モブプロについて語ってるポッドキャスト(fukabori.fm)があってかなり面白く聴きました。ペアプロというとなんとなく初心者とベテランが組んで教えるというイメージがあったのですが、ベテラン同士こそパフォーマンスが良いという話はなるほどと感じてます。

各自が持つドメイン知識を突き合わせたり、課題に対してそれぞれが持つ解法を持ち寄ることで一人のときよりも品質の面でかなり効率が上がるなと感じています。

そもそもPullRequestのレビュー時には、なにが課題でどういうソリューションを成したのかというのを各人が読み解く必要があり、大きなコストとなりがちです。それを実装時にあらかじめ合意形成するというのがペアプロの利点の一つだと思います。

リモートを交えたモブプロの話もされていたのですが、収録時期的に今のような全員リモート前提ではなく、オフィスで集まってやるという形なので、かえって物理的な制約を感じてしまうなと思いました(人数多いと後ろの人は参加しにくそうとか、キーボードの取り合いになりそうとか…)。

ペアプロの基本としては、ドライバーとナビゲーターに分かれてコードを書く人見る人を分担しますが、口頭での指摘が大変なときなどはVSCodeのLive Share機能を使って同時に編集も可能になりました。

このへんがやりやすいのもリモートならではなんじゃないかなと感じてます。

機材

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開発はMacBook Proと外部モニタの2画面で行っていましたが、自宅環境ではもう一つサブのモニタを横につけてそこをDiscord専用の画面にしました。これによって常に相手の画面を表示しつつ、自分の環境でも並行して作業できるというのが今までには無かった体験だなーと思います。

音声についてはコンデンサマイクとアームを右側につけてますがこれは収録用で、普段の通話はMacBook Proの内蔵マイクでヘッドホンもつけずに話してます。やっぱりヘッドホンつけっぱなしだとしんどいので。

生活

生活については課題がいろいろあります。

- 食べる - 栄養をとること。食事。そのために食材を入手し調理をすること(あるいは食品を入手すること)。
- 着る - 身体が冷えないように衣類をまとう。
- 住まう - 睡眠をとり身体に休養を与えるための場所を確保すること。居住。住居の確保。
- 世界を解釈し、その世界像のもと、上記のさまざまな活動を営み(食べ、住まい、子供を産み育て)表象行為を行う。(もともと生きることと、世界解釈と一体化して生きることは不可分であった)現代風に言えば、「信仰生活」「宗教行為」「年中行事」など。
- 子供をつくり、産み、育てる - (婚姻)、性生活、出産、子育て
- 老人が孫の子育てを手伝い若い世代に知恵を授け、若い世代が老人の世話をする - 子育て、扶養、介護

( 生活 - Wikipedia より)

都市社会に住んで仕事をしていればOKだったものが、都市やオフィスの機能を利用しなくなり人と会わなくなったことで、自活する基盤は自分の家になってきました。

これまで自宅には寝る機能しか求めてなかったので正直ゴミ屋敷ですし、ベッドと机を往復するだけの環境では長期的には持続しづらいだろうと感じます。

5,60代の中年男性が奇行に走るニュースを見るたびに、他人事とは思えず、明日は我が身だろうという思いを抱いています。これまで出社ということでかろうじて保たれていた社会性は、人と会わない単身世帯だと容易に乖離していくはずだからです。

これから

おそらく今の事態が終息しても、元のようにオフィスに戻って仕事することは無さそうというのが現状のメンバーの見解です。しかし、なにかしら集まれる場というのも必要になってきそうと話しています。

通勤の概念が無くなったことで、郊外や海外への引っ越しを検討しているメンバーも居ますし、自分ももう少しちゃんと生活を見つめられるような環境を検討したくなっています。

変わらず働けているというだけでも幸運であるとは思うのですが、せっかく社会的制約を飛び越えて技術課題が一気に進展したのだから、この形態を活かした上でさらに新しい仕事や生活の場ができるといいのだろうなと思います。どうなるか分かりませんが。

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