秋葉原
日本の街を調べてみたいということで、本日は秋葉原に訪れました。
↓前回:木場公園・清澄庭園
秋葉原には合計5つの路線があります。
1. JR山手線:御徒町↔︎秋葉原↔︎神田
2.JR京浜東北線:御徒町↔︎秋葉原↔︎神田
3.JR総武線:浅草橋↔︎秋葉原↔︎お茶の水
4.東京メトロ日比谷線:仲御徒町↔︎秋葉原↔︎小伝馬町
5.つくばエクスプレス:秋葉原↔︎新御徒町
余談ですが、つくばエクスプレスには乗ったことないですね。小さい頃は成田エクスプレスの外観が大好きだった記憶があるんですが。今度筑波方面に行くときは使ってみたいです。
江戸時代には火事が多かったため、火除け地(ひよけち)という防火用の空き地を数多く取り入れたそうです。中でも秋葉原では、1869年(明治2年)の相生町(あいおい)の大火をきっかけに、翌1870年に火除けの「秋葉大権現(あきばだいごんげん)」を鎮火神社として祀ったことから、それが地名の由来となったそうです。
万世橋は一から作った橋ではなく、筋違橋(すじかいばし)という別の橋を取り壊した際に、その石材を再利用して造られた橋だそうです。この筋違橋は徳川将軍が寛永寺に詣でる際に渡った橋だとか。
万世橋は建設当初からこのように呼ばれていたわけではなく、初めは萬世橋(よろずよばし)と命名されていましたが、次第に今の呼ばれ方になったそうです。
「練塀(ねりべい)」とは、瓦と練り土を交互に積み上げ、上を瓦で葺いた(ふいた)土の塀のことだそうです。
江戸時代にはこの付近は武家地であり、美しい模様が武士に好まれていたんだとか。
ここ和泉公園には昔お屋敷があったそうです。その跡地に東京大学医学部の前身でもある「東京医学所」が建てられたのち、今は三井記念病院とこの公園になっているんだとか。
本記事には載せていませんが、付近には種痘所(いわゆるワクチン。天然痘の予防接種)もあったことから、医学にもゆかりが深いことを知りました。
そういえば広場に雰囲気のあるお手洗いがあるな、と思っていたところです。倉を模したものだったのですね。
ここ和泉橋は江戸時代に古着を扱う商人が集まり、賑わっていたそうです。
やや夕焼けというには早かった感がありますが、赤く染まっているところは伝えられたと思います。
今回はここまで。ありがとうございました!
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