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舞い散る

【ことのは100】12. 雪と花火
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初雪の日に出会い、花火が散ったとき別れた。
それはまぎれもなく、恋だった。

冬、どこまでも広がる雪原の上、彼女と出会った。
いくばくか他人より表情が乏しく、いつでもぼーっとしているような子。
そんな第一印象だった。
僕は、声をかけてしまった。
「被写体になってほしい」そう一眼レフを片手に言った。
彼女は不思議そうに僕を見ながらうなずいた。

それから、写真が撮りたくなれば彼女に連絡を入れた。
彼女も僕も、お互いのことは何も知らなかった。
名前も、年齢も、仕事も。
彼女は僕に興味を示さないし、僕は彼女が撮れればそれでよかった。
彼女は、絵になった。
雪の中にたたずむ様子を遠くから撮っても、
近くでそのなめらかな肌を持つ顔を撮っても、
どれでも憂いを帯びた表情で、レンズを見据えていた。

「古本が好きなんです」と彼女は桜舞う公園で言った。
ベンチに座り、小さなポシェットから2、3冊文庫本を出す。
いずれも、聞いたことのある有名な文豪の全集らしかった。
「内容じゃなくて、この匂いがたまらなくて」
そうしてページをぱらぱらとめくり、半分程度のところで本を開く。
そのページを顔に近づけ、目を閉じて吸う。
「今日は、春の香りも混ざってて新鮮」
ほんの少しだけ、彼女の口角が上がった気がした。
「古本中毒だね」とふざけたように僕は言ったけれど、
彼女はうなずいただけで笑わなかった。

5月のはじめ、彼女に似た人を病院で見かけた。
県では有名な大学病院だった。
僕が少し風邪気味でその病院を訪れたとき、隣に彼女がいた。
もしかしたら彼女ではなかったかもしれない。
いつもはワンピースを着て髪をおろしているのに、
その女性は制服で髪を結んでいたからだ。
でも確かに面影がそこにはあった。
話しかけようとはみじんも思わず、僕はただ呼ばれるのを待っていた。
隣の彼女のほうは少し経つと帰っていった。
待っていると「あの」と声をかけられた。
顔をあげると、見知らぬ人が隣の席を指さしながら、
「ここに座っても大丈夫ですか?」と尋ねた。
そこには古本が置かれていた。
「すみません」と訳も分からずその人に謝り、古本を手に取る。
彼女が置いていったようだった。
病院の人に届けよう、そう思ったが、少し気になって中身を見る。
桜の花びらがひっそりと挟まっていた。

6月、僕と彼女は喧嘩をした。
とてもささいなことで、喧嘩というのもいささか暴力的すぎる表現のような口論だ。
雨が好きか、嫌いか。
僕は雨がものすごく苦手で、嫌いだった。
低気圧のせいで頭は痛くなるし、床は濡れるのがたまらなく嫌だ。
彼女は雨が好きで、愛しているようでもあった。
雨音を聴いていれば落ち着ける、というような話をされた。
なにせ互いに名前も知らないから、そのような喧嘩でも大きな出来事だった。
僕と彼女は、会わなくなった。
だけど、僕は雨の中にいる彼女を撮りたかった。
試しにそこらへんにあるアジサイとかたつむりを撮ってみた。
まるで美しいとは言えない写真だった。
彼女は雨に映える。確信をもってそう言える。

6月の終わりを迎えつつある日、僕はたまたま彼女に会った。
雨の海を撮ろうと沿岸部に行く在来線で、偶然にも乗り合わせた。
在来線によくある四人掛けで向かい合わせになっている電車だった。
座った席の目の前に彼女が本を読んでいた。
「こんにちは」と彼女は社交辞令のように抑揚なく言った。
「こんにちは」と僕も返した。
「雨は嫌いなんでしょう?」と彼女は僕を見つめる。
「雨は嫌いですが、写真に写る雨は嫌いじゃありません」と答える。
面倒な人、と彼女は息をつく。
「そして、僕は雨と君のツーショットが撮りたいんです」と吐露する。
彼女は表情を変えずに、窓の外を眺める。
返事はなかった。
流れるように電車は走り続け、ついに僕の目指す終着駅につく。
彼女とはずっと一緒だった。
ホームに降りると、続けて降りてきた彼女が僕に言った。
「撮るんでしょう? どんな風に撮るの」
僕は胸を高鳴らせながら、カメラを準備した。

被写体とカメラマンの関係を続けて、初めての夏。
夏祭りで遊ぶ彼女の姿を撮りたくて、連絡した。
「浴衣を着ていきます」と彼女は嬉しそうに答えてくれた。
様々な店の明かりに照らされる彼女は、いつもよりも美しかった。
そして、花火を見ている彼女を撮っていると、違和感に気づく。
彼女が、泣いていた。
涙をぼろぼろとこぼしながら、花火を見ていた。
声をかけられずに、撮るのをやめると、彼女は僕を見つめて言った。
「ごめんなさい。今日で、お別れ」
初めて、彼女が僕の前で微笑んだ。
僕はシャッターを切れなかった。

今でも彼女の写真が、たくさん僕の手元にある。
なのに一番記憶に残っているのが、最後の日の彼女の笑顔だった。