見出し画像

憂を帯びるは桜花

【ことのは100】13. 散りゆく
https://miyabiyuubae21.wixsite.com/kotonoha

「お母さん、おばあちゃん、どこ行ったの」
 隣に座るわが子が、ビー玉のような目を私に向けている。
 部屋に煙る線香の匂い。その中に一つ、桜の香がほのかに匂う。
「お祖母ちゃんはね、桜だったのよ」
「さくら?」
「だから、散ってしまったの。春を過ぎれば散ってしまう桜……」
「じゃあ、来年になればまた会えるのね? 本当ね?」
「そう、桜になって、また———」
 私は、昔と変わらない庭を眺めた。

「やめて、もう」
 普段は温厚な母が目を細め、私をにらんだ。怒らせたのだ、と子供ながらに悟った。
 強制された不妊手術の新聞記事を見て、私は「そんなに子供が欲しいのかしら」と首をかしげ、母に聞いたのだ。
『お母さんは、私が生まれて嬉しかった? 生まれてほしかった?』と。
 それが母を傷つけるとは微塵も思わなかったのだ。むしろ「そうよ」と微笑んでくれると思った。
 しかし、返された声は低かった。その声を、私は物心つく前にも聞いたことがあると、思い出していた。

「おかあさん、どうして、さくらはちってしまうの?」
 尋ねると、母は柔らかく微笑んで「耐えきれないからよ」といった。
「桜の花びら、一つ一つに、私たちのような人生があるの。
 時に雨に打たれ、時に虫と出会い、精一杯生きていく。
 つらいことも、嬉しいことも、自分の中にためておくの。
 だけどいつか、そのためたものを持ちきれなくなる時が来る。
 そうすると、次の春開く花のためにも、散っていくのよ」
 私は意味が分からず、ただうなずいた。
「あなたの母も、そうなのよ」
「え? おかあさんも?」
「ううん、私じゃない——あなたの本当のお母さま」
「おかあさんは、おかあさん一人よ」
 そういうと、母は私と目線を合わせるようにしゃがみ、真剣な顔つきで声を低める。
「あなたの母はね、早くに散ってしまったの。次の花である、あなたのために」

その思い出はもう色あせて、セピア調になっている。
けれど言われた言葉はすべて覚えている。
散ってしまった若き桜、たった今散ってしまった桜。
もしかしたら私は、父と生みの母の一瞬の過ちによって生まれてきたのかもしれない。
育ての母には、子が生まれなかったのかもしれない。
もう、真実はわからないままとなってしまった。
庭先の桜が、ほろりほろりと散っていくのが見える。
桜よ、教えてくれ。
散りゆくことが、お前たちの本望なのか。
もう答えてはくれない、散ってしまえば……。

「お母さん? 泣いてるの? 悲しいの?」
 はっと気づくと、心配そうに見つめられていた。
「大丈夫、少しだけ、懐かしんでいただけよ」
 涙は、止まらなかった。