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知らなくて良いこと

そんなタイトルのドラマをやっていた。
本人が知らなくて良いことを周りがわざわざ言ってしまうこと。世の中にはよくあることだ。

知らなくて済むなら知らない方が良いこともある。もちろん、本人が知りたいなら真実を知る権利はある。だが、それを外部からの心ない言葉で侵害されることもない。個人で言うならだ。

だが「報道」に関わるドラマの主人公には発信する側の責任とメディアならではの「売れる記事」とのせめぎ合いと言う半分「公人」のように扱われているところが少し厳しいなと個人的には思った。

だが、今では公人も何も個人ですらネットで晒される時代。ネットの中にいる一人一人が裁判官のように個人を裁いている。しかも匿名で顔も見せず名前も出さず。

ドラマは時代を反映していると随分前から思っていたが、今のトレンドがこれなんだなと痛感した。

そんなドラマを見ていて思い出した。
最近、会った人が「言わなくて良いこと」を連発していて、他人のこととはいえこっちまで心が痛くなったことがあった。

カウンセリングを学んだわけではなさそうな人が、カウンセリングをしていてお試しだからと言って数人の前で聞きづらいことをズバリ聞いていた。

「虐待を受けていましたか?」

私は衝撃を受けてしまった。言葉には力があると言っていた人が皆の前でその言葉を発するとは。ただ、言われた方は平然と「あります」と答えていて、平気なのかなとも思ったがしばらくして涙目になり一言感想を述べた。

「思い出させてくれてありがとうございました」と。

本当に良かったのかどうかは、本人のみが知ることになるが、その場で言わなくて良いこともある。そう思ったのはもし私がそうであれば全力拒否したいと思ったからだ。

それを選択させるのももしかしたら強制的に昇華させることにも繋がるのだと思うが、受け取る側の器にも影響するなと言う事例を目の前で見せられた。もちろん、聞いた方も「もしかしたら?」と言う言葉を入れていたので、断定はしていないし質問をしただけだったので、言葉的にはキツく聞こえなかったのだが。

言わなくて良いことは「嘘をつくこと」とは違うと私は思っている。何もかもあけっぴろげに正直に言うことが優しさではない。時には時間をずらすこと、場所をわきまえること。それらを総じて言葉を発することがバランスをとることだと思うからだ。

とかく、言葉を乱用する人は優越感に浸りたい人が多い。ボキャブラリーの多さに口数の少ない人は圧倒されるし、専門用語などだと素人にとっては聞くしか無くなる。

カウンセラーをしているとまずは「守秘義務」があるから聞くことに徹し、口数は少なくなる。だがそのぶん相手の細かな感情の動きなどに敏感に反応できるようになる。

虐待を受けていたと言うその人は、思い出して良かったと言っていたが、思い出した後のケアが大事なのに大丈夫かなと少し心配になった。
だが、この心配も徒労に終わることを願っている。

世の中にはいろんな人がいて「こうでないといけない」は存在しない。私が皆の前でそれを聞くのはどうかと思ったことも、もしかしたら本人にとって、今でなくても後々良かったと言うこともあるからだ。(もしかすると全く問題なしで、良い方に行っているかもしれないし)

言わなくて良いこととジャッジしているのは、言っている本人なのかもしれないな。
だとすると、知らなくて良いことも自然な流れで知ることなら必要なことなのかもしれないなと思った。

「必要なことは必要な時に起こる」

そう解釈すると世の中はもっと平和になるかもしれない。



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