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三宅、挑戦はじめます。

記事をご覧いただきありがとうございます。三宅です。
友人がnoteを使っているのを見ていつか自分も、と思っていましたが、今回どうしても書きたいことができたため使い始めることにしました。
拙い文章になるとは思いますが、読んでいただけると幸いです。

初めての投稿ですので簡単な自己紹介を挟みたいと思います。
三宅祐花(みやけゆうか)
 福知山公立大学2年生
 好きな食べ物:チョコレート、フルーツ
 苦手な食べ物:しめじ
 小学校は合唱、中学高校は卓球をしていました
 アルバイト:ケンタッキー
 今所属している団体:防災サークルFAST、公認学生団体「fm学生探偵」

自己紹介を読んで、私のことを少しでも知っている方はお気づきかと思います。所属している団体少なくないかと。

そうなんです。
この度DOKKO辞めました。
お世話になっていたふく子屋もぬけました。

突然のご報告で驚かれた方もいるかもしれません。
世間がこのような状態のため、本来は1人1人お会いして状況説明することが望ましいところ、このような形になってしまい申し訳ありません。
わたくし三宅祐花は、7月8日をもってDOKKOを辞めるという決断に至りました。
下の写真をInstagram見た方は何となく気が付いていたかもしれませんね。

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なぜこんなにも突然DOKKOを辞めるという決断に至ったのか。
それには唐突でありながらもきちんとした理由があります。

時は少しさかのぼり7月5日、いつもよりバイトが忙しく時間延長して働いていました。
何とかひと段落し、同じバイト先の彼氏とご飯に行きました。
彼は1つ上の3年生。就活であったりお互いの活動の共有であったりをよくするのですが、この日は彼の就活での自分のアピールポイントの話を聞きつつ、私の今の活動の一貫性のなさについて相談していました。
DOKKOを辞める前の私を整理すると、
 ・DOKKOのふく子屋プロジェクトで子どもに関する活動をする
 ・公認学生団体(学生プロジェクトから変わりました)「fm学生探偵」
  にて副代表兼ラジオパーソナリティを務める
 ・DOKKOを通じてできたつての中で防災活動を行う
 (FASTに2年生から所属していますが、ほぼ活動はなし)
 ・母校の高校で探求学という授業のサポーターを行う
 (コロナの関係であまり動けず)
という感じでした。見ていただいたらわかると思いますが、てんでばらばらなことをしていることがお分かりいただけると思います。
自分でも自分のやっている活動に一貫性がないことは痛いほどわかっているけれど、すべて自分がやりたくて始めたことだから続けたい、というジレンマが年明けくらいから徐々に膨らみ、自分今何やってんだ、とまで思うようになっていました。

「私のやってることは一貫性がなくてばらばらで、自分のやっていることに自信が持てなくなってきた。」
正直な言葉を彼に吐露したところ、こんな言葉が返ってきました。

「一貫性がないっていうけど、自分のやりたいことをやってるんでしょ?
じゃあいいんじゃない?」

そうか、自分のやってることは間違ってないんだ。自分のやっていることを認められて、そう思えました。
これまでの私は、やりたいことに手を出しすぎてパンクしたり、逆に自分のやりたいことに蓋をしすぎて何がしたいのかわからなくなったりしていました。だから既存のものに依存したり、自主的に動くことが怖くなったりしていました。
でもこの言葉をかけてもらったことがきっかけで自分のやってきたことが報われた気がしました。同時に、何か自分のやりたいことにチャレンジしたい、という思いが芽生えてきました。

また、自分のやることには一貫性を持たせて、1本集中すべきだと、まわりの人の言葉から自分の頭の中に固定概念として居座っていました。
でも自分のやりたいことをやるってすてきなことで、多少ばらついていてもいいんじゃないかと思うようになりました。

そこでまた新たな悩みが出現しました。

自分の本当のやりたいことって何?

コロナ自粛期間中、なんとなーく過ごしていたこともあり、自分の中のやりたいの熱が冷めていることには気が付いていましたが、いま一度見つめなおすときが来たんじゃないかなと思いました。
人生は1度きり。大学生でいられるのは4年間(休学すればわかりませんが…)。悔いのないように、せっかくならやりたいことをやろうと心に決めました。

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そこからめちゃめちゃ悩みました。
これとは別の悩みもひとつあったので、5日の夜いつもお世話になっている先輩2人に相談に付き合ってもらったり(その節は本当にありがとうございました!)、6日にはラジオの代表・副代表の3人でご飯に行き、たくさん話を聞いてもらいました。
悩んでいるときに助けてくれる人がいるって本当にありがたいなとつくづく思います。いつもありがとうございます。

そこで導き出した答えが、
やっぱり私、防災がやりたい!
でした。

高校の時に推薦入試の面接材料のためにと先生に勧められるがまま始めた、丹後大震災の街歩きプロジェクト。あの時はまあやってみるかくらいにしか思っていなかったけれど、今では防災を通して1人でも多くの人の命を救いたいと思うほどにどっぷりになっていました。
ご縁とは、素晴らしいものですね。

ではなぜこの気づきがDOKKOを辞めることにつながったのか。

そもそも私はDOKKOの中でも福おじばに所属していました。
しかし、自分が防災を軸に活動するうえで、子どもに楽しく防災の知識を身につけてほしいと思うようになってからフィールドをふく子屋へと移行しました。

ふく子屋では先輩や同級生とともに、また社協やNPOにもお世話になりながら様々な経験をさせていただきました。
やはり一番印象的なのは「防災大作戦」。
1日かけて子どもに、また大人にも楽しく防災を学んでもらえるイベントを企画・実施しました。
0からイベントをつくる難しさや、繋がりの大切さを身をもって体験しました。自分のやりたかった「子ども×防災」を実践でき、大変だったけれどとてもよい経験となりました。

しかしジレンマはここから。
参加者80人規模のイベントとかなり大規模であったこともあり、ふく子屋に防災のイメージが定着しつつあったのです。
本来は子どもの居場所づくりであったり、楽しい時間の共有を目的としたプロジェクトですから、あまりに私のやりたい防災ばかりを持ち込むのは的外れです。
ですから、防災大作戦後防災のイベントのお誘いが多く舞い込んできましたが、そのほとんどを”ふく子屋で”ではなく”有志で"の参加に切り替えてしまいました。

なんか自分のやりたいことと違う。

子ども×防災がやりたいのに、それがやりづらいフィールドができあがってしまった。これがふく子屋とのズレを感じ始めたきっかけです。
防災を強く意識し始めたことで、ふく子屋に在籍を続けることを戸惑いました。

もう1つの理由が、一度決まった枠から脱出してみようと思ったことです。
言葉を選ばず言うと、これまでDOKKOという枠にとらわれて活動をしてきました。それが自分に良い影響のあったことももちろんたくさんあります。
確実に1年生の時、DOKKOにいてよかったと思っています。
しかし、DOKKOが代替わりし、またコロナウイルスの流行により団体の動きが鈍くなっているのを感じ、在籍価値を問う日々が続いていました。
1年生の頃は枠の中にいても吸収できることはたくさんあふれていました。しかし今はそうは思えなくなっていました。

以上2つの理由から私はDOKKOを辞める、という決断に至りました。
しかしDOKKOやふく子屋と縁を切るつもりはなく、お互いが刺激になるような交流を続けていきたいと思っています。

今後の私の活動としては、最近興味をもって調べているアレルギーと防災を掛け合わせたことがしたいと思っています。
自分がアレルギー体質だということもあり、アレルギーの苦しみがわかるからこそできることもあると思います。当事者だからこその視点かもしれませんが、避難所でアレルギーを理由に苦しんでいる人を救いたいと考えています。
また、子ども×防災も継続的に行いたいですし、根本的に自分の防災の知識を増やすべく多方面に勉強したいとも考えています。
後学期以降に団体を立ち上げることも少し考えています。

DOKKO以外のまだ所属している団体やプロジェクトは、まず防災をメインに考えて、残りのキャパの中でできる範囲で活動を続けたいです。

辞めたことに後悔はしていません。
DOKKO在籍時、たくさんの方にお世話になりました。
皆さん本当にありがとうございました。
DOKKOではなくなりますが、三宅祐花は進化を続けるべく、日々様々なことに挑戦してまいります。
これからもどうかよろしくい願いいたします。

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長文にお付き合いいただきありがとうございました。
また次回の記事まで。

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