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ひと休み。

しばし1人で自分に向き合う時間をとることができたので、感じたり考えたりしたことを書き残しておこうと思います。

いいことだけど悪いこと

環境を変えて

2か月間、東京にいました。
就職活動を進めるため、自分の世界を広げるため、東京へ赴いたのにはいろんな理由はありましたが、行って正解だったなと思っています。
ゲストハウスのドミトリーにいたので、生活しているだけで本当にいろんな人と会うことができました。
本当に感謝してます。1人だと考えこみすぎて寝込んでたでしょうから。(たまに消化できない疲れを癒すため引きこもったりはしましたが…)

ありがたいことに、就活の悩み、暮らしの悩み、人生の悩み、どんな相談であろうが話を聞いてくれる人達の集まる場所だったので、ここぞとばかりに吐き出しまくりました。
よかったのは、多彩なバックグラウンドから生まれる言葉は実に面白かったということ。
海外経験であったり、自営業経験、起業経験、自分の知らない世界を知る魅力的な話がいっぱいで夜通し話すこともしばしば。
私の人生に生かせるであろう話もたくさん聞いて、心がほくほくした感覚に何度も浸りました。

しかし、何でも聞いて、何でも生かそうとする私は空回りしちゃうことがよくあります。
「私はこれまでAが正しいと思ってたけど、○○さんはBが正しいと言っているからこれからはBでいこう」
みたいな思考に陥ることが多い。気が付いたら自分の気持ちがわからなくなって混乱したり空回りしたり、みたいな。
たくさん話を聞いたということは、それだけ吸収しようとしたということ。
何が正解かわからなくなって、また相談して、また吸収しようとして混乱する、いったい自分の気持ちはどこだ⁉状態で、また考えてしまう。

もちろん良い影響がある場合もあり、以前noteに書いたようにワクワクをより感じられるようになったり、ありのままの自分でいられるように工夫したり、着実に変わろうと行動できていることは自分でも感じています。
ただ、人から聞いた話に基づいて行動するあまり、自分の心の声から遠ざかっていました。

目標のための目標が多すぎる

ある日、面接をしていたとき、面接官から「目標のための目標を作ってしまって、本来の目標から遠ざかっているのではないか」というご指摘を受けました。
例えば、リーダーになりたいという目標があったとする。やってみたけどうまくいかないから、副リーダーになってリーダーはどういった動きをしているか勉強しようとする。すると今度は副リーダーとしてリーダーをどう支えるか、メンバーをまとめるかということに目が行く。じゃあメンバーから副リーダーはどう見えているのかを勉強するためにメンバーになる。
この場合、本来のリーダーになりたいという目標から遠ざかり、メンバーから見て副リーダーはどうすべきかという視点になっている。
これでは視野は広がれどいつまでたっても目標は達成できない。

私の中で何が起こっていたかというと、目標達成のためにアドバイスをもらい、今度はそのアドバイスが目標になってしまうケースが多発していたわけである。
聞いた話を実践することを優先して本来の目標がほぼ放棄された状態に。
そりゃ目標達成されないわけである。。

私はどこへ行く?

もやもや

さて、私の本来の目標、やりたいことやなりたい自分はどこだ?
遠回りしすぎて根っこがどこかわからない。
頭をよぎるのはみんなの声。
「これが正しい!」
「こうやって私は成功したから」
「直感だけどその選択は危ないと思う」
…おーい、1回静かにできんかね脳内再生よ。(映像で記憶するタイプなので、セリフもその時の状況もなんでも鮮明に思い出せてしまうんですよね)

これは後から気づいたことだが、例えばこの呪縛は日常にも潜り込んでいたようで。
東京から下宿先へ戻ると、タンスから着ない服がわんさか、似合わないコスメがどっさり。全て流行による洗脳でかわいいと思ったから購入。
阿呆丸出し。
本来自分が求めている心の声は日常的に迷宮にいるらしい。

私はど~こだ⁉

そもそも、就活するうえでの軸は何だったか。
私と関わるすべての人が笑顔になるような、プラスの感情になるような自分づくりがしたい。
これは変わらないし人生の軸でもある。
じゃあ具体的にどうやって?
人と関わる仕事をして、いろんな人の声を聴き、知識経験を身に着ける。
うーん、漠然としとる。

じゃあ人と関わる仕事だったら何でもいいのか。
そもそも正社員だけが正解?
働くことが正解?休学っていう手もあるよ?
東京じゃなくても学べる場所はあるよね?
東京で就職するんじゃなくて地元戻ったほうがいい?

お得意の目標が遠ざかる思考を巡らせながら今日も考えている次第です。
自分の声を聞くのって難しいなあ。

本から気が付いたこと

そんなこんなしてますと、なんと体調をがたっと崩してしまい、しばらくベッドにおりました。
少し回復してくると、本を読む余裕ができたので買うだけ買って読んでいなかった本を開くことにしました。
要約すると、ありのままの自分を受け入れるためのいろはが書かれた本でした。

薄々気が付いてはいたのですが、どうやら私は人よりいろんな物事に目が付き、考えてしまう敏感な人間らしい。
代わりに、幸せを見つけるのも上手なようで、ちょっとしたことでほっこりできるという特性もある。
気づき考えるのが悪いことではなく、自分の声にも気づき、その声にもっとわがままでもいいとのこと。
そして上手に休んだほうがいい。

遠回り三宅さんはたぶんこれまで散々わがままでもいいんだよとか、休みなとか言われてはきたんですが、いろんな考えが入り乱れてうまく実行できていませんでした。
遠回りの悪いところは腑に落ちるのにすごく時間がかかるということ。
でもいろんな話がつながって腑に落ちたとき、まるで迷路の正解を見つけたようにパッと目の前が明るくなります。
それが何回も感じられた本でした。

こんにちは、本音。

「わがままに生きていい」とは、私にとっては少し難易度が高い。
周りの声に敏感ではあるものの、自分の声は後回しに、雑に扱ってしまうことがほとんど。何が本音で、何が周りからの影響なのか自分でもわからなくなっています。

まだ自分の声に耳をすませ始めてから日が浅いので練習が必要ではありますが、徐々にその場の欲求をそのまま素直に受け止めるよう心がけています。
この文章を書いている今の私はそろそろこの記事を終えたいと思っているので、このへんで終わろうかと思います。
正解らしき正解にはたどり着けていませんが、焦らずゆっくり向き合いたいと思います。

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