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私と記事と3か月 Vol.3

ご覧いただき、ありがとうございます。
三宅祐花です。

少し記事投稿に間が空いてしまいましたが、今日から実際にテーマに入っていこうと思います。
今回は、テーマ①「出会い、学び。」について。
私は夏休みを使ってコロナ禍ではありますがいろんな人に会いに行きました。
(もちろんコロナ対策はしっかり行った上で活動しています。)
順を追って時系列順に、とも思ったのですが、1番書きたいところから始めていきたいと思います。
ということで本日は、東京編をお届けします。

そのまんま荘での出会い

先日私は、東京に行っておりました。
もともとは東京で開催されるイベントに参加するはずだったのですが、緊急事態宣言のため延期や中止が相次いでほぼ予定がなくなってしまいました。
しかし、イベントとは別に何件か人にお会いする予定を入れていたことと、就活や人生のヒントが欲しかったこともあり、東京に行くことにしました。

私は東京滞在期間中、そのまんま荘というゲストハウスに泊まりました。
そのまんま荘は現在、4人の個性豊かな社会人の方が住まわれており、期間中とても楽しく交流させていただきました。
ちなみに4人のうちお知り合いだったのはお1人だけで、その方もオンラインで1度話したことがある程度でしたので緊張で最初はドキドキしました。

乾杯!

宿泊1日目に、社会人1年目の大学の先輩がわざわざそのまんま荘まで会いに来てくださったので、住人の方と一緒に乾杯しました。
今回の旅の目的に何か1つでも就活や人生のヒントになるようなことをもって帰りたい、という思いがあったので、先輩やそのまんま荘の方にたくさん話を聞いていただきました。

そのまんま荘には20代前半にして信じられないくらい稼いでいる人がいたり、一度は放浪したものの、エンジニアとして今はかなり大手の企業に起用してもらっている人がいたり、いろんな角度からお話を聞くことができました。
たくさん話した中でも特に自分に刺さった話をピックアップして書いていこうと思います。

自分をよく見せようとしていることに特化している人と自我がある人だったらどっちがいいか
プライド高そうに見られている人にいいことはない
下手に見られているほうが対等な学びが生まれる

この話をなるほどな、と思った理由は、先日私が聞いた話につながる部分があったからです。
その人の話は確かこんな感じでした。

自己紹介の時、自分の概要すべてを説明する人はいないと思います(イベント登壇等で経歴について語る場合は別ですが)。逆に言うと、最初は知らなかったけれど後から聞いてギャップを感じることにもつながります。
最初にすべてを知ってしまうよりも後からいろんなことを知れたほうが面白いと思います。それと同じで、自分のことをよく見せようとか、自分の経歴を見てもらおうとか、無理にする必要はないよ。

東京で聞いた話は、私が過去に聞いた話の延長線上の話だと思いました。
自分を無理によく見せようとか、自分のいいところを知ってもらおうとか、そういった努力をするより、自我をもって常に成長を求めている人のほうが面白い。
なおかつ低姿勢で学ぶことで、上から目線だと学べなかったことが見えてくる、という話です。

嫌われる勇気も必要なことは重々承知の上ではあるものの、人によく見られたい、という思いがどうしてもぬぐい切れない節がありました。
しかし、誰に認めてほしいのか、どこを認めてほしいのか、不特定多数に求めて思うような反応が返ってこないよりも、絞り込んだほうが質の向上と自身の精神安定が担保されるなと感じました。

冷めやすいのは甘え
どんなに好きなことでも冷めることもある
冷めても面白みを見出すことが大切

これはかなり衝撃というか、なるほどそういう角度もあるのか、と納得した話の1つです。
私は熱しやすく冷めやすいタイプなので、続くことが稀です。例えば、スマートフォンでゲームをダウンロードすると、一時期はどっぷりハマってそのゲームしかやらなくなるくらい夢中になる。しかしそのゲームに区切りがついたり、イベントが終わったりすると急にどうでもよくなって放置する、というケースが頻繁に起こっていました。

しかし、仕事は好きで始めたとしても、続けているうちに好きにも温度差が生まれます。仕事に限らず、大学生である現在も活動していることに対しての気持ちの温度差がどうしても生まれます。
でも仕事はアルバイトのようにころころと変えられるものでもありません。冷めたとしても、その中でできること、自分に合うことを探すことも大切
そもそも仕事として選択するとき、冷めたとしても頑張れるかどうか、再熱できるかどうかの軸をもって探すことが大切だと教えていただきました。

石の上にも三年、とも言いますし、よくよく考えれば長く続けることでわかることもあるから、そう簡単に手放したりやめたりするのはよくない、とも言われたことがあるのを思い出しました。
少し東京で話していただいた話から脱線しますが、私は興味のあること、やってみたいことに飛びついて活動してきたあまり、取捨選択を迫られるタイミングが多かったように思います。
果たして、最後まで続けていることはいくつあるのか。
そもそも何を基準に手放してきたのか。
始めるときに他のタスクとの兼ね合いを考えた行動をとれていたのか。
自分に対して甘かったのかな、でもあの時取捨選択をしていなかったらもしかしたら自分がつぶれていたのかもしれない。はたまた、ものすごく力を身に着けることとができていたかもしれない。

過去には戻ることはできないので、この記事を書く機会を使ってこれまでの自分を丁寧に振り返ることにしたい。
そして、たとえ冷めたとしても、再熱できる自分の軸を明確にできたらと思います。

終わりに

長くなってしまっているので、続きは次回の記事にまとめようと思います。
本当に良いタイミングでお話を聞くことができて、振り返りながら感謝の気持ちでいっぱいになります。

終わりに少し悲しかった話をします。先日母に連絡をして、最近はこんな風な考えをもって動けるようになったよ、これまでの自分で自分の首を絞めて生きてきた私が、ようやく肩の力を抜く法方法がわかってきてだいぶと心が落ち着いてきたよ、と報告をしました。
母は私の1番の理解者でいつも話を聞いてくれているので今回も報告程度に話を聞いてほしかった。しかし、「そんなことにも気が付いていなかったのか」と返されてしまい、かなりショックを受けました。現在絶賛既読無視しています。

これは母への承認欲求が満たせなかったから苦しいのでしょうか。親子は親子でも人は人だからと割り切って考えることにはしたのですが、最近の自分の動きを否定された気持ちになったので悲しくなりました。
皆さんが大切なお時間を割いて私の記事を読んでくださる中で、そんなことに今更気が付いたのか、ということが記事にも出てくるかと思います。当たり前のことを書いているだけだねと、思うこともあると思います。
でも私にとっては新鮮な言葉の毎日で、自分の見ていた世界とは別の角度で、とても面白い時間です。
どうか私の稚拙さに呆れたとしても温かく見守っていただければと思います。

少し重くなってしまい、すみません。
この記事を上げるのに時間がかかったのは上記の理由があったから、というのも1つでしたのでお伝えすることにしました。
次回の記事からはまた心を入れ替えていこうと思いますので、今後ともぜひ、よろしくお願いいたします。
ではまた。良い一日をお過ごしください。

今日の日記


かぼちゃスープを作ろうと思って何日か前にかぼちゃを購入していたのですが、いざ作ろうとレシピを見て、牛乳を買い忘れていることに気が付きました。お値打ち品のかぼちゃでどうしても今日中に調理がしたかったので、代わりにバター醤油で焼いて食べました。秋の味覚がおいしくなってきましたが、皆さんは秋といえば何が食べたくなりますか?私はさつまいもです(もちろんかぼちゃも好きです)。

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