思考の棚ざらえ 2015 #08

 どうも。暑いですね。五月といえば風薫る、なんつって、平生ならば一年のうちでも最も爽やかな時期であるはずがなんですか、この真夏めいた暑さは。まったく季節の奴は一体なにを考えておるのですか。ひょっとして季節の奴は「このところ日本人の連中は全体的に心がけがよろしくないからここはひとつ、時季外れの暑さをお見舞いしてやることで少しく連中の目を覚ましてやろう、精神を叩き直してやろう」なんて思っているんでしょうか。だとしたら季節の奴というのはまったく上から目線のいやな野郎だと思いますね僕は。だとしたら想像するに、季節の奴というのは小供の頃からそういう意地悪ばかりをしていて、結果、友達の一人も出来なかったような寂しい奴可哀想な奴だと僕は思いますね。そういうわけだから謝るんなら今のうちだぞ季節め。はやくいつも通りの薫風ふきぬける五月を寄越しやがれあほんだら。いつまでも甘い顔して熱中症に気をつけてばかりで収まっていると思うなよこの野郎。暑いっつうんだよ。

閑話休題

 主力に怪我人が出始め、快進撃の立役者・山崎康にも疲れが見え始め、ということはそろそろ、我がベイスターズが下降線を辿ることへの心構えをしておかなければならんなあ。と、喜びよりも不安が先に立ってしまうのはやはり、弱い時代を長く過ごしてきたオールド・ファンの悲しい性なのでありましょう。とはいえ、長年求め続けてきた"勝ちパターン"がようやく出来上がりつつあるというのはまったくもって嬉しい限りで、いまはただ、その勝ちパターンの総てである山崎康がつぶれないで欲しい、と、そればかりを祈っています。これで三上が去年の状態を回復して山崎康とダブルストッパーを組めればまあ、CS争いから脱落することはないだろうからね。これであと、センターラインががっちり決まってくればチームの形としては完璧なんだけど、そこまでにはまだあと一年かかるかなあ。

閑話休題

 はっきり云って中畑清が監督というのは未だに心に引っかかる部分があるのだけれども、それでも、よく、あのどん底にあえいでいたチーム、試合が始まる前から勝つことを諦めているようなズタボロのチームを、たとい劣勢でも最後まで諦めないチームに生まれ変わらせたものだと、マジで感心する。耳にするだに勘に障っていた評論家的なコメントも云わなくなり、真に監督らしくなってきたように思う。

閑話休題

 あとDeNAはマジでよくやってくれている。球団買収以後、足を運ぶたびに横浜スタジアムがどんどん綺麗になっていったり、新人/外国人のスカウティングや戦力補強がどんどん的確になっていったり、球場内の演出も飽きさせないような工夫がどんどん凝らされていったり、まあなんつーか、やっぱりチームが強くなるにはまず、球団の姿勢をしっかりするところから始めなければならんのだなあ、と、改めて思った。ちったあ反省しろTBS。

閑話休題

 なんて云って喜んでると急に「本拠地を新潟に移します。ハマスタ狭いし」なあんて云い出すんじゃないか、という、不信感は未だに少し持っていますがね。

閑話休題

 話は変わるがそうこうしている間に"ヒットマン"阿修羅・原も天に召されてしまい、真に昭和が遠くなってゆきますよ。昭和の終わり頃に勃興した天龍同盟の試合は、いまビデオで観返しても面白いものなあ。プロレスに限らず、あらゆるジャンルに於いて真に時代をつかんだもの/超えてしまったもの、ってのは、時代性を超越する面白さ、その瞬間にしか吹かない風が吹きまくっているように感ずるんだよなあ。そうしてまた、そんなとびきり面白いものを同時代に観られたというのは、まったくもって嬉しい限り、幸運な限りだよなあ、と、思う。

閑話休題

 まあ、いまの時代だって、どこかにそういう風は吹いているんだろうね。自分がそれをキャッチする感性のアンテナを失った為にわからない、というだけで。

閑話休題

 この二年ほど、テレビ東京の鷲見玲奈アナウンサーを観るたんびに、うはあ、美人でしかも真面目そう/素直そう/性格が良さそうなのにお体の方はむちむちぷりんととしていて、うはあ、たまらんなあ。と、うっとりして画面を眺めているのだが、この春から鷲見アナ、眼鏡をかけてテレビ画面に出るようになり、うーん、眼鏡はよく似合っているのだけれども、なんか、眼鏡のせいで計算高い感じに見えてきてしまっていけない。自分の見せ方/見え方をすごく計算している人、みたいに思えてきてしまっていけない。とはいえそれでもやはり、お体の方はむちむちぷりんとしているから結局、うはあ、たまらんなあ。美人の眼鏡姿はたまらんなあ、と、いままで以上にうっとりして、まったく興味もない競馬の中継を眺めていたりします。鷲見アナにだまされるんならむしろ良い。つーか鷲見アナになら自ら進んでだまされたい。

閑話休題

 いまから八九年前にはまだ「私はアナログ人間なので、ケータイを使うのがやっとなんですよ」なんて、少しの優越感と共に高言する輩(それも三十代でありながら)がいたものだけれども、スマホが行き渡った現在ではすっかりその姿をみなくなりましたな。あの頃のアナログ人間はどこに行ったのかねぇ。地デジの開始に合わせて人間もデジタルになったのかね。アナログ人間を自認したんなら、ずーっとそれで行けばいいのにね。まああの頃のアナログ人間もいまでは平気でLINEとか使ってるんだろう。無自覚の嘘つきだよな。

閑話休題

 「私は時代に遅れたデジタル人間なのでLINEとかfacebookとかよくわかんないんですよ」なんて嘯きながら、遅れたデジタル人間に相応しくいまからmixiを始める、とか、そんなことをしようかと思ったのだけれど、意味がないし面白くないし、なにより僕はいまmixiに興味がないからやりません。セカンドライフならやるかも知れない。

閑話休題

 そういえばこのところ以前ほどAmazonを使わなくなったなあ。と、思ってよくよく考えてみたらなんのことはない、そのぶん、便利になったヨドバシドットコムをよく使っているのであった。ドラッグストアで売っているような商品も一点から配送無料&10パーセントポイント付与で買えるからね。十年前には革新的だったAmazonに他がどんどん追いついてきて、こうして世の中は未来に向かって進んでゆくのですな。

閑話休題

 風薫る五月。という文字を見るたんびに新井薫子のことを思い出す僕は紛う事無き昭和の小供。あと左殺しの平田薫。

閑話休題

 huluと迷った揚げ句、月額料金がちょっと安いからという下賎な理由からdTVに入った。『プライミーバル』など、シーズンの途中までしか観ていない海外ドラマを中心に観ているが、しかしながらいまは『あしたのジョー』を一所懸命に観ています。ようやくジョーがプロテストに合格したところまで来ました。

閑話休題

 しかしあれですなあ、このぶんで行くと、いずれドラマをテレビで観る、という行為は酷く衰退、或いは消えてなくなり、dTVやhulu的にネットで観るのが当たり前、ってことになるのかもしらんなあ。観たいものがどんどん観られるこの手のサービスの方が、とくに小供は熱心に観るだろうからなあ。考えてみれば我々だって、観たいものばかりが放送されているわけではなかったテレビですら、あれだけ熱心に観ていたのだから、それが自分の好きなものだけ観られるとなれば、どうしたってそっちのほうに行くだろうなあ。

閑話休題

 しかしそうなると、なんとなく点けていたテレビでたまたま目にしたものがものすごく面白く、その後、長年にわたって興味を持ち続けることになる、という経験は失われてゆくのだろうとも思う。探すつもりもなかったものが相手の方から勝手に飛び込んでくる、というのは結構重要なんじゃないか、と思う。

閑話休題

 ンじゃあまあ今日はこんなところで。あ、そうだ。自分のホームページ(ザ・ガーベージ・コレクションV3.0以降)の開設十周年を自ら記念してなんか作ろうかなあ、と、思っていたのにすっかり忘れていた。ていうかいまのページを始めたのが二〇〇三年だから、開設十周年ってもう一昨年のことだ。あひゃあ、てことは二年も忘れていたってことだアハハハハハ。しかし西暦二〇〇三年なんてついこないだ、みたいに思うけど、もう十二年も前のこと、干支が一回りしちゃってんのな。あのころ産まれた赤ん坊が第二次性徴を迎えている、とか、そんくらいの時間が経っちゃってるのな。ぃやんなっちゃうなあ。ほんとぃやんなっちゃう。




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